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精神科を退院できない理由は、病状よりもむしろ生活環境の側│ピアだから代弁できること

2022.04.12 UP

大阪精神医療人権センターに望むこと~声をきき、扉をひらき、社会をかえる~
近島 勇 個別相談活動・訪問活動

当事者としてのこれまで
私が統合失調症を発病したのは1981年、35歳のとき。入院を必要とするほどに病状は大変であったが、妻は入院に反対してくれた。6週問の自宅療養と通院のあと職場復帰をし、10年間仕事をした。医者の言うとおりに薬を飲むと、体も頭も鈍くなって仕事にならない。かってに薬を減らしたり、やめたりして病状を悪化させ、何度も自宅療務をした。
1991年(45歳)の春、働けない状態になったとき、もう働かなくていいから家のことをしてくださいと妻に言われ、掃除・洗濯・タ食作り・子育て・自治会関係などをするようになる。
転機は1996年(51歳) 頃から。作業所に通うようになり、仲間と触れ合い、自分もまた病気であると知るようになる。医者の言うことも聞いて薬を飲むこと、休養を取ることの大切さを学ぶようになる。
さらなる転機は、2003年(58歳)頃から。同じ仲間である精神の人たちに、何かできることを始めたいと思った。ヘルバー2級の資格を取り居宅介護を始めた。大阪精神障害者連絡会と、堺市の泉北地区で電話相談を始めた。サポートセンター「む~ぶ」で、当事者講師派遣事業「出前はぁと」を立ち上げ、熊本や宇和島など、全国各所で精神病の偏見や無理解をなくすための講演をしてきた。退院促進の支援員もするようになった。
そのような流れのなかで、2007年に人権センターと知り合った。5回の研修を受け、2008年から病院訪問をはじめる。個別相談活動は2016年からである。

活動に参加して良かった点
治療のためならカギを閉め、時には拘束帯までして、自由や本人の意思を無視してもかまわない。何十年も入院させられている人がいる。そのような精神科病院の在り方に疑問をもっていた。自分が病気になったとき、人間らしく扱われ、安心して治療できる病院であって欲しい。そして、早く地域に帰って、そこで生活していきたい。それが当事者の病院への思いである。慣習というものは恐ろしく、長いあいだ病院運営をしていると、患者を人間らしく扱うという基本さえ見えてこなくなる。
療養環境サポーターは、病院という閉鎖空間に、人間としての市民目線で風を送る。仕方がないと諦めているスタッフや入院者に代わって、そうではないのだよ、人間として生きる権利があるんだよという風を送ることができる。大阪府下にある精神科病院を訪問し、病院の療養環境が整っているか、ハード面を見たり、入院患者からの聞き取り調査をする。改善して欲しいことがあれば、病院側に要望する。2度目の訪問をしたとき、カーテンレールが取り付けられていたり、電話機が詰所の前でなく、離れたところに囲いまでされてプライバシーが守れるようになっている。廊下まで匂っていたトイレが清潔になったり、病室にあるポータブルトイレも周囲の人からは見えないようになっている。なかったナースコールが取り付けられたり、使用しないときもそのままになっていた拘束帯が片付けられていたりする。スタッフが分かるように名前と写真が張られていたり、人権センターなどへの電話番号が表示されたりしている。携帯電話の使用が可能な病院や、食事も選択メニューにしている病院が増えてきている。少しずつではあるが、改善点が見られると嬉しく、サポーターをしていて良かったと思える。
個別面談をして良かったと思える点は、病気のしんどさへの共感や、退院したい気持ちがより多く分かるということだろうか。病気をもちながらでも、地域で暮らしていけている姿を見てもらうことで、生きる希望や勇気が少しでも膨らんでくれれば嬉しい。

これからの課題
精神病者が生きていく希望や勇気がもてる社会は、障害のある人もない人も生きやすい世の中になるだろう。差別や偏見、ましてや隔離ではなく、自由と寛容さが求められるだろう。人への優しさは、他の人を認め、それを許容することから始まるだろう。入院し治療が必要な時期もあるが、何年も隔離することによって治るような病気ではないだろう。
入院している人よりも、地域で生活している人のほうが元気なのはなぜだろう。そこには自由があり、自分の意思で生きているという感覚があるからだ。失敗もするが、そこから学んで、よりよい選択もできる。
退院できない理由は、病状よりもむしろ生活環境の側にある。親の反対がある、住む場所がない、金を稼ぐことができない、自炊や生活上のできないことがある。だから退院させないのは人権無視で、世論を変え、社会制度を変えていくことが必要だろう。医療保護入院から任意入院に変えていくこと、グループホームや、アパートなどの保証人制度を作ること、生活保護制度を活用すること、ヘルパーを利用すること。
幸いに、人権センターにはいろんな立場の人が会員になっている。会員をもっと増やして、世論を作っていくことができる。弁護士も、精神保健福祉士も、看護師も、地域で施設のスタッフをしている人も、当事者会をしている人もいる。その人たちが連携していけば、退院できる人も増えるのではないか。

※本インタビューはSOMPO福祉財団のNPO基盤強化助成で実施しました

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