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ご報告│シンポジウム「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして」│大阪弁護士会

2021.07.13 UP

7月10日│日本弁護士連合会人権擁護大会
プレシンポジウムが大阪で開催されました。

シンポジウムの第2部座談会は「語り合う 精神障害のある人の尊厳の確立をめざしたこれまでの活動とこれから」がテーマで、大阪精神医療人権センター理事(元代表)の里見和夫さんが大和川病院事件弁護団の立場で登壇しました。座談会では、福岡の八尋光秀さん(弁護士)、東京の池原毅和さん(弁護士)里見さんから、精神障害がある人の人権についての問題意識、これまでの取組み、これから何をなすべきかについて、熱く、そして具体的かつ実践的なお話を聴くことができました。

お聞きしたお話をレポートさせていただきます。

大阪精神医療人権センター設立と大和川病院事件
里見和夫さん

設立までのこと

弁護士登録をしてすぐに薬害スモン訴訟の弁護団に加わり、その一員として1981年に報告旅行に行った際に、オランダとデンマークの保安施設の見学に行った。
当時、国が改正刑法草案をつくっていて厳罰化や保安処分の導入をすすめようとしていて、わたしは特に保安処分に関心があり反対の意見を示していた。

保安処分と関連して精神科病院への入院に関して調べ始め、その人権侵害の実情に驚愕した。当時、精神衛生法の下、措置入院が15%、自由入院(法外入院)が5%、同意入院が80%だった。同意入院は医師1名の診察と家族の同意によって入院される強制入院のひとつだった。精神衛生法には強制入院制度しか位置づけられておらず、入院手続きは極めてずさんだった。

そのような中、宇都宮病院事件(1984年3月)が起こる。入院中の方3名が看護師に殴り殺される事件だった。当時、宇都宮病院には530数名の入院者がおり、外部との面会をまったく認めない病院だった。入院中の方は外部に紙飛行機をとばすとか、退院する人にメモを託すしかSOSを出すすべがなかった。このような状況だったにもかかわらず、国や行政はなかなか動こうとしなかったため、弁護団がICJ(国際法律化委員会)の視察受け入れを準備した。ICJの動きは早くて、1986年6月には報告書サマリーがだされ、日本政府も改善に着手せざるをえなくなった。

ICJの勧告を受けて法律が改正されたが、精神衛生法から精神保健法への改正は、申し訳程度に法律の名称を変え、精神医療審査会制度をつくり(不服申し立て制度がないという指摘を受けたから)、任意入院制度をつくった(強制入院以外の入院制度がないことが問題だったから)。

設立の経緯

大阪では、以前から弁護士や医療関係者で保安処分に関する勉強会を行っていた。けれども、1984年3月に宇都宮病院事件が起こり、「これは、精神科病院にまずは行かないといけないのではないか、そういう動きをつくらないといけないのではないか」ということで、1985年11月に大阪精神医療人権センターを設立した。本当にいろんな立場の方の賛同により結束した。密室性と閉鎖性を精神科病院の最大の問題ととらえ、まず私書箱で投書を受付けはじめ、しばらくして週1回の電話相談をはじめた。退院した方やご家族から、入院中の相談や訴えが届くようになりはじめた。

そして、とにかく細々とではあったけれども面会活動を柱の一つとしつつ、対行政交渉も行ってきた。その頃、大阪市の福祉事務所に精神科病院が患者を紹介してもらえるように賄賂を渡していたことが発覚し、対大阪市交渉を数年にわたり毎年行っていた。また、各地の条例に似たような欠格条項があり、これはひな形があるはずだと調べたところ、総務省がひな型を作っていたことが分かり、当時の総務大臣あてに差別を助長することを止めるよう要望書を提出し、その後、そのようなひな形がなくなるなどの活動をしていた。

大和川病院事件とその対応

1993年2月に大和川病院で暴行を受けた患者さんが、転院先の病院で亡くなったという事件が新聞で報道された。
人権センターとしては、個別のご遺族への対応と訴訟、大阪府への申し入れ、大和川病院に医師を派遣している大学医局への問い合わせ、大和川病院に入院中の方への面会活動、病院による弁護士面会の妨害行為への訴訟を行った。

暴行を受けて亡くなった患者さんは数名おり、新聞記者からそのご遺族の方々の情報提供を受け、一部のご遺族とお会いできた。もちろん、こういったことに関わりたくないというご遺族もおられた。けれども、「本人を病院の入口まで送り、わずか数週間で亡くなった。納得できないし、明らかにしたい」などという相談をお二人の方から受け、訴訟を起こした。結果、勝訴している。

また、人権センターとして大阪府に対し、関連3病院(大和川、安田、円生)の看護師水増しに始まる劣悪な医療の実態があることと、予告なしに一斉同時立ち入り調査を求めたが、約4年程は状況は変わらなかった。

その間も、センターとしては他の入院中の方と面会しようとし、電話が入れば会いに行っていた。ところが、1993年4月下旬、初めての面会妨害があった。状況としては、事前に午前中に面会に行くと約束していたにもかかわらず、病院に行くと「午前中は面会時間じゃない」と病院に断られ、では「午後に来ますので」といって、そのことを書いたメモを職員に渡して本人の署名と捺印ももらってほしい依頼し、それには応じられた。けれども午後に再度面会に行くと、今度は職員に本人の「弁護士いりません」というメモを渡された。「本人の意思を確認したい、そのためだけにでも面会させてほしい」というと、「メモが本人の意思」だといわれ面会ができなかった。自分が弁護士面会を拒否された第1号だったが、これ以降、同じような事例が続いた。そのため、弁護士にによる面会権の妨害をされたとして、病院に対して損害賠償請求を行った。

さらに、大和川病院へ医師を派遣している大学の医局に、「大和川病院の実態はこうである、それを知っていて医師を派遣しているのか」といった趣旨の問い合わせをした。すると、逆に偽計業務妨害と名誉棄損で刑事告訴され、民事でも訴えられ、弁護士会には懲戒請求をされた。これkらの件については、すべてこちらが勝訴している。

このような状況でも大阪府はのらりくらりと対処を遅らせていたが、1997年3月に読売新聞が病院の労働実態をスクープし、他のマスコミが追随する記事を出した。当時の厚生省からの指導もあって、大阪府はようやく1997年4月に関連3病院への一斉調査を行った。その結果、医師や看護師を揃えられていない状況も明るみになり、大阪府は入院中の方の一斉転院に踏み切った。最終的に大和川病院は系列病院を含めて開設許可が取り消された。

人権センターとしては、大和川病院を潰そうという目的があったわけではなかった。ただ、劣悪な実態を変えないといけないと思っていた。

目の前に人権侵害されている人がいる。弁護士としてそれらを見過ごすことができないし、それに対して何らかのサポートができないかと考えるのが弁護士だ。

~精神医療は変わったか?~ 里見和夫さんのお話を受けて

八尋さん

大和川病院がレアな病院だったのか、というとそうではなく、実はプチ大和川は日本中にあったと思っている。そのころ、わたしは精神科病院での性的虐待の事件の弁護を担当していたが、こういった病院に共通するのは、扱いにくい患者さんを病院が受け入れていて、院長は褒められたいといったことだった。

精神科病院に入院中の方の人権の実態は、当時から現在までにあまり変わっていないと思っている。拘束帯は磁気式になったが数は倍増しているし、病棟は建て替えできれいになったが監視モニターが付いているなど、非人間的扱いがあることは変わっていない。

池原さん

「抑圧」「縛る」「閉じ込める」という治療など、病院の外の世界と違う文化があるけれども、それはなぜかを考えると、脈々と続く強制入院制度が一因に思える。精神病者監護法の状況を呉秀三医師が「野蛮で文化的でない」「この国に生まれたる不幸」と痛烈に批判したが、閉じ込める場所が私宅から病院になっただけで、その後も(家族による)同意入院が医療保護入院になるなど、法的な閉じ込めはずっと続いている。こういう制度が「患者さんの人権はないがしろにしていい」というような文化を生み出しているのではないかと考えている。

見た目の残酷さや悲惨さは変わってきているかもしれないが、人間性を奪われる実態は変わっていないと思う。

強制入院についての考え

里見さん

強制入院は長期的には廃止するべき。けれども、ただちに新たな枠組みや体制などの条件は整えられないので、手順としてまずは、現在の医療保護入院を廃止し、強制入院は行政の責任で行うことにする。もちろん行政の責任での強制入院なので、費用も行政が負担することが求められる。

八尋さん

強制入院については、適正な手続きが保障される必要があると考える。
ハンセン病の療養所への無料巡回相談を経験し、そこへの隔離の実態をみたら、これは完全にアウトだと感じた。そこには、個室、庭、家があり、食事が整っていて、温泉や売店、散髪屋もある。病院と比べると天国と地獄のような差があった。けれども、ハンセン療養所へ強制入所させられた方々は「解放されても帰る場所がない、自分は死んだことになっている、ここには仲間もいて今は幸せ、でも、私の人生は『仮の人生だった』」と話される。強制政策がもたらす「人生被害」はとてつもないことで、それに勝るような医療、それを押してでも受けるべき医療なんてものはないんだと、確信している。どのような医療をどう提供するかを考え、抜本的に変えていかないといけないと考えている。

池原さん

なぜ強制入院廃止が必要か、それは強制入院が途絶えることなく続いている虐待問題であり、強制入院が隔離された人にもたらす人生被害が非常に大きいからである。

今回、日本弁護士連合会人権大会のシンポジウムを行うにあたり行った入院経験者のアンケートやインタビューを行った。そこではさまざまな被害の実態が明らかになっていて、トラウマを負わされたり、人間性を否定されたといった体験をさせられたりなどの内容がでている。21世紀に入って以降のことではあるが、国連の障害者権利委員会(障害者権利条約の関連委員会)でも、強制入院による被害が大きいことは認めている。さらに、WHOの健康の権利に関する特別報告官も、強制入院に利益があるという証拠はないが、被害が発生しているという証拠はある、だから世界のどの国ででも強制入院は止めていかなければならない、といったことを言っている。

強制入院を「明日、すべてを止めろ」とは言えないが、目標や計画をもって行うことが必要だと考えている。方法としては、強制入院の入口を狭め、出口を広げることだ。入口を狭めるという戦略については、入院の要件を1991年の国連原則(精神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケアの改善のための諸原則)の要件まで引き上げるべきと考えている。国連原則では、許される強制入院には2つの類型があると、ひとつは日本の措置入院に似た制度の条件としては、日本のように「自傷他害の恐れ」という漠然とした条件ではなく「自傷他害の大きな危険が切迫している」場合であり、ふたつめの医療保護に似た制度については、同意能力がないことにプラスして「症状が重篤である、入院以外に治療方法がない、放っておくと重大な健康被害を被る」ことを条件にしている。いずれにしても、現在の日本の強制入院の要件よりは基準は厳しく、日本もその基準までは持っていくべきだと考えている。次に、出口を広げるためには、精神医療審査会の機能を強化することが必要だと考えていて、そのためには独立性の確保や適正手続き、そして必ず弁護士がつくなどが考えられる。さらに、強制入院は責任ある国公立の医療機関のみで行うべきと考えている。民間病院には入院させない。このようにしていくと、現法の強制入院をやめても、何とかなっていくのではと考えている。それと並行し、社会資源の充実や所得保障、社会参加の機会の保障なども行っていく必要があると考えている。

精神科病院に入院中の方の尊厳確立に向けて

里見さん

これまで精神障害者の差別や偏見をなくすための努力を、国や行政はやっておらず、逆に精神障害者に関する予算は削る一方である。差別や偏見は行政が作り上げたものだと考えている。精神病者監護法も隔離するための政策で、一義的責任を家族に負わせ、精神衛生法もその枠組みを引き継ぎ、差別や偏見を一層強めてきた。また、精神科特例を廃止せず、法の中に取り込んでしまった現状は、憲法に定められた基本的人権が精神障害者には保障されていないのではないか、といった現状が長期にわたり続いている、このような状況を弁護士として見過ごしていいのか、ということを全国の弁護士に発信したい。そして、精神障害者への差別や偏見をなくすには、行政のさまざまな施策の発動が必要。予算を増額し、精神障害者の尊厳の保障に使われるべきと考えている。

八尋さん

らい予防法や精神障害者に関連した法、この2つの衛生法規によって、らい病や精神病の方々を隔離政策や優性政策によって、憲法や人権の埒外に置いてきたと言っていい。基本的人権を踏みにじる政策が一環して流れてきたらい予防法と優性保護法は廃止されたが、精神保健福祉法はまだある。
精神保健関連法とらい予防法によって生み出された差別と偏見と言うのは、個人のひとりひとりの良心の問題ではなく、法律によって作られた差別と偏見である。そして、社会構造的なもので大量の人権被害をだす装置として機能し、いまだに存在している。
間違った法律は止めさせなければならないし、人権を侵害する社会構造も、ひとつひとつ、突き崩していかなければならない。らい予防法については、国が認めて謝罪し、厚労省、文科省、総務省が一緒になって国が作った差別をどうするか、本気で考える時期になっている。らい予防法の廃止が開けた風穴がある。

これからは、もうひとつ精神障害者とよばれる人たちの尊厳を規制してきた法制度をつきくずしていく必要がある。わたしたちは法律による差別と偏見について、もう一度、法律を見て、解体する作業、被害を受けた方々の名誉と人生の回復に向けてどんな政策がとれるのかを考えていく時期に来ていると思っている。

池原さん

どんな未来を創っていったらいいのだろうか、その大きな手掛かりは権利条約第14条、19条、25条にあると考えている。

14条は、差別的な自由剥奪は許さないといった内容である。これは、なぜ精神障害者だけ特別な自由剥奪の制度、強制入院があるのか、それは差別でしょ、という単純なメッセージである。もちろんこれは他の分野に強制入院を広げていくといったことではなく、強制を使わない一般の医療に精神障害者の医療も含まれるべきといったこと。あらゆる患者さんが安心して、病棟で、自分の意思で、治療を受けられる、そういった医療に関する法律をつくる、その中では精神障害者を特別視しないで他の病気や障害と同じで差別しない医療を実現することが求められる。

19条は、インクルーシブな社会の中で生きていく権利を認める、それは外国人、性的マイノリティの人、障害がある人などいろいろな人が街に住んでいる、多様性が尊重された社会で、いろんな人がごちゃごちゃにいるというのが人間の社会としては当たり前であり、一人一人にとってむしろ生きやすい社会になる。そのような社会の中に当然精神障害者が住んでいることが認められる、多様性や寛容性といったものが実現された社会であって。それを実現するためにはお二人の先生もおっしゃったように、十分な予算、行政のバックアップも必要だと考えている。100年以上にわたり行ってきた法律や政策を改めること、謝罪や被害の賠償をしたり、名誉を回復させたりということも必要。

この2つを柱としつつ、25条も重要で、これはインフォームドコンセントをはじめとし、平等な質と量と範囲の医療を障害がある人にも提供しなければならない、特別な病気や障害の人を特別視するのではなく、医療は平等に与えられなければならないということの裏付けである。

そういうものを実現させていかなくてはならない。できれば10年後にはそういう世界ができればいいなと思う。2014年に条約批准したので、少なくとも20年目の2035年くらいまでには、せめて権利条約が求めている社会を実現すると言うことが必要だと思っている。もちろん自分もこれからも力を尽くしたいが、若い人たちもバトンを受け取って、がんばって、いい社会をつくっていってほしいと思う。

レポート 大阪精神医療人権センター活動参加者

シンポジストの著作

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精神科に入院中の方と弁護士をつなぐ活動 私は、精神障害者のための権利擁護活動が必要であると考え、弁護士を目指しました。現在は、大阪弁護士会ひまわり精神保健部会に参加し、また、大阪精神医療人権センターと協力しながら、精神科病院に入院している方の退院・処遇改善請求等(精神保健支援業務)を行っています。
シンポジウム「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして」│大阪弁護士会新型コロナウイルス感染症の影響において、精神科に入院中の方は、面会や外出が制限され、家族・知人を含む第三者にアクセスする自由が奪われてしまっています。
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