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ご報告│シンポジウム「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして」【第3部】│大阪弁護士会

2021.11.13 UP

7月10日│日本弁護士連合会人権擁護大会
プレシンポジウムが大阪で開催されました。

シンポジウムの第3部座談会は「日本の精神科医療は変わったか—大和川事件を振り返り、その先へ」がテーマでした。大阪精神医療人権センターより山本副代表と原理事、兵庫県精神医療人権センターより吉田さんが登壇し、各地の活動をテーマに沿ってパネルトークいたしました。お聞きしたお話をレポートさせていただきます。

「日本の精神科医療は変わったか—大和川事件を振り返り、その先へ」

山本深雪さん
認定NPO法人大阪精神医療人権センター副代表

人権センターの活動に参加した当初のこと

私は、30歳代後半ごろに木曜会という西成の当事者のミーティングに参加していた。また、全障連(全国障害福祉事業者連盟)系の事務所のようなところを、私の昼間の居場所として提供してもらっていた。この頃、「何か私にできることはないだろうか」と思い人権センターの電話相談に参加するようになった。

最初のうち、思ったよりも電話の件数が少なくて、その理由を考えてみると、まず人権センターの電話番号を入院中の方々にお知しらせできていないと気づいた。なので、テレフォンカードに電話番号を書いて知り合いの方々にお渡ししてみたり、入退院を繰り返している方々が出入りされているデイケアをはじめ、いろんなところにご挨拶にうかがうなどしていた。人権センターは「入院中の方へ」というパンフレットも作成していたので、それを持ち、顔見がてら知り合いになるチャンスを作ろうと動いていた。

大和川病院事件の発覚

そうした中、1993年の2月に、大和川病院事件が新聞で報道された。大和川病院から転院した方の全身にいくつもの打撲の跡があり、一週間ほど水を飲んでいないような酷い脱水状態があり、亡くなられたということだった。「来るべきものが来た」と感じ、大和川病院が今どうなっているのか、入退院をされている方々の話を聞きたいと思い、入退院をされている方々が出入りしている場所に出向いた。

いろいろ話をきいていると、「友達が入院しているから一緒に面会に行ってほしい」とかなどいろんな依頼があった。最初に大和川病院に行ったときは、友人の面会ということで行ったところ、「親族の方の印鑑証明書つきの委任状を持ってこないと面会できない」と言われ、断られた。どういうことだということで、やりとりはしたが、埒が明かず、親族から印鑑証明書付きの委任状を預かり再度、面会に行った。話が終わった後、病棟の方に通じる通路だけ開いている状態になるため、「病棟の方にいくしかないんだな」と思い、入院中の方と、私と、私と一緒に面会に行ったもうひとり一人のぼちぼちクラブ(大阪精神障害者連絡会)のメンバーと3人で病棟に入った。

大和川病院への面会活動の実際と患者さんの声

病棟はすごく薄暗く感じたので見上げてみると、本来6本入っているはずの電灯が、1~2本しかついていないことに気づいた。この暗さの中で日常生活を過ごさざるをえないというのは、とてもしんどいなという風に感じました。そのときも、ここぞとばかりに名刺や無料のパンフレットなど、いろんなものをお渡しし、人権センターをいうのがあるんですよ、と病棟の中を歩いた。男子病棟だったので長居をしにくかったし、病棟に入る際に「もし4時までに出てこなかったら、私が中で何かされていると思ってください」という連絡をしていたため、4時までに出ないといけないと思ったところ、詰所をノックしてもちっとも応答がなかった。それで悩んでいると患者さんがきて「ちょっとどいてみ」と言って足でドアを蹴りながら、「これをしないとスタッフは聞いてくれへんねや」とおっしゃった。すると、ようやく鍵を持っている職員が現れた、という状況だった。そのカギを開けてくださった職員にうかがってみると89歳ということだった。やっと歩いているという状況の方が一人で日勤帯に詰所の中にいたということには、とても驚いた。

その後も、時折そうした友人面会というのもしていたが、そのうち、里見先生がお話ししていたころ、人権センターとして、病院側に面会をもとめるというのを、なぜ、転院先であのような形でなくなったのかという風な話とか、やりとりをしていきまして、最後のときは病院側もこちらの来た理由がわかったということで各病棟の公衆電話のナンバーを一覧にしたものを頂いた。

「公衆電話にこちらからかけますから、その折にはちゃんと入院中の方と話ができるようにしてくださいね」というような確認をしていたが、その日の行動をめぐって病院側に名誉棄損で訴えられたりもした。いろんなところに訴えていたようで、そういうことは里見先生や、国会議員の方々に対応していただいた。初期の頃は、入院中の方に対して「毎週木曜日の午後には面会にうかがいますから」とお約束をしていた関係もあって、その時にうかがうと病院の中での暮らしぶりが書かれたお手紙をやり取りをするという感じの関係を築いていくことができていた。その中で、「たとえば朝の6時から夕方の6時まで厨房で働いている。働かないと退院させてもらえないと思っているからそうせざるを得ない」というお話や、「診察はないけれど、薬は飲んいでる」、「薬は飲んでいるけど、この薬は他の人と同じだ」というお話もうかがった。  

大和川病院の職員の声

そうこうしていると、大和川病院の職員が人権センターにやってくるようになった。 患者さんの人権が奪われているところにおいては、スタッフの人権も奪われている、話を聞いてくれないかと言われた。最初少し悩んだけれども、人権センター内でミーティングし、「これは裏表の関係だから、患者の声を聴くと同時に、働いている人たちもどういう環境で働いているのかをうかがうということも、必要だろう」ということで、双方の話を聞いていくようになった。ただし、職員の話を聞くときは立会人、当時NHKのスタッフだった方に第三者として同席してもらう形で、話を聞いていた。そうしたところ、そのNHKのスタッフの家の周りに黒い車が複数ウロウロするようになり、その方に対して「関わっているとどういうことになるのか分かってんのか」といった脅しがあった。そのため、同席してもらえなくなり、人権センター近くの関西テレビの報道部に「どなたかこういう問題に関心のある方いませんか」とお願いに行き、その後は関西テレビのスタッフに職員の聴き取りに同席してもらうことになった。

私たちは、聴き取りの際、メモを残すために録音や録画もしていたけれど、話を聞き流すのではなくきちんと聞くこと、態度を大切にしていた。私たちがそうやってきちんと取り組んでいるというのがどこかから聞こえてくるのか、あるヘルパーさんから「仕事上かかわっている方が、あなたがたに話を聞いてほしいと言っているからぜひ聞いてあげてほしい」と言われてうかがうと、大和川病院で亡くなった方の事件に関与していた元患者さんだった。なぜ自分がそこに関与するに至ったのか、経緯などを話してくれた。「したくてやったんじゃない、やらざるを得ないようになっていった」と話された。そして、病棟内で入れ墨も彫られたりして、そういうのが嫌で3階の窓から飛び降り自殺をしようとしたけれど、死ねなくてこのような状態になっているなどと話してくれたこともあった。大和川病院に入院中の方、元入院していた方も全てそのようにしてお話をうかがい、職員からも、働く上での辛さや減給のされ方、逆に患者さんを連れてきたら給料がプラスされるとか、いろんな話が聴けるようになった。 それは週1回の面会活動を継続してやっている団体だからという信頼感や期待感があって、初めて成立した人間関係なんだろうと思っていた。

行政への働きかけ

ただ、このままではよくないというのはわかっていた。私たちが集めた患者や職員の声を、大阪府の方に伝えていく必要があった。府庁へは、職員や元入院患者さんと一緒に訴えに行った。でも、一緒に行っても別々の部屋に通され、そして、職員が話したことが翌日の安田病院の朝礼で「だれそれが裏切った」というように報告されたりとと、なかなか思うようにはいかなかった。ただ、そういう中でも諦めずに行動した結果、今現在は大阪府に精神科医療機関療養環境検討協議会という精神科病院の療養環境を良くするために、さまざまな立場から意見を出し合う場ができている。

この精神科医療機関療養環境検討協議会ができる前に、大阪府精神保健福祉審議会に人権センターからも委員をだし、そこで大和川病院から転退院していった患者さんたちの人権調査というものをするように意見をだしてきた。その結果どういうやりとりが患者さんから返ってきたかというのも人権センターのホームページにアップしていますので、アクセスしていただければ、よりきちんと伝わるかと思います。

モチベーションを維持できた理由

そういう取り組みを続ける力となってきたのは、入院した時の悔しさを含め患者さんから語られる声をきちんと聞いてきた積み重ねであったり、ぼちぼちクラブの仲間たちと一緒に動いくことができたことだったと思う。

原 昌平さん
認定NPO法人大阪精神医療人権センター理事

今日は、過去の事件をご存じない方も多いのでしっかり伝えてほしい、と依頼されたので、そこに重きを置きつつ、それを踏まえて現在の状況を伝えていきたい。

大和川病院事件とよくいわれるが、大和川を含めて3つの病院があり、安田病院グループ、あるいは安田系3病院という言い方をしていた。柏原市にあった大和川病院(精神病床524床)のほかに、大阪市内に安田病院と大阪円生病院があり、一般病棟や老人病棟を持っていた。一般病棟ってなんだというと、生活保護とかホームレスだった人たちが入院していた。簡単にいうと、弱者を食い物にした悪徳病院グループだった。これらの病院は最終的に、すべて開院許可が取り消された。つまり病院は廃院、医療法人は解散という行政処分になった。これほど重い処分は日本の医療の事件でも他に例はない。

大和川病院で、暴行を受けて入院患者が亡くなる事件は1960年代や70年代にもあった。発覚してないのはもっとあったと思われる。そんな中で1993年に、暴行を受けた男性が転院先で死亡する事件が起きた。けれど、これがはっきり追及されないまま放置され、大阪精神医療人権センターが行政に調査を要請してもなかなか動かない。現役の職員たちが内部告発として大阪府へ出向き、生の声を伝えたのに、翌日、院長から呼び出されたりした。どういう情報の流れ方をしていたのかと思うこともあった。

読売新聞で私たちがキャンペーンを始めたのが1997年の3月だった。これは投書がきっかけだった。病院の不正がこういうふうにあると書いた手紙と、電話の録音テープが新聞社へ送られてきた。

最初の報道は「医師、看護婦数水増し」という記事。投書があっても、なかなか記事にはできない。裏付けをしなければいけない。そこで私はあるルートでひそかに、この病院が行政に届けている職員名簿を入手した。人権センターの方でもある程度、職員の方の連絡先を把握していた。そういう情報と突き合わせながら、実際に働いているのかどうかを個別に調べていった。すると、すでに働いていない医師や看護師の名前が名簿にいっぱいあり、今も働いているように報告されていた。つまり、幽霊職員がいたことがわかった。こういう実態が相当あることを、自分たちの取材で確認できたため、新聞社による調査として、病院が職員数を水増ししていたと報道するに至った。そのあと行政が調査に入り、さらに検察庁が捜査に入って刑事事件(詐欺)になった。

病院の実態については、たとえば「患者軽視の劣悪医療」という記事を載せた。こういう見出しの記事は、マスコミとしては大変なことで、たちまち名誉棄損、信用棄損で訴えられる可能性がある。でも、根拠があるからここまで書けた。

大和川病院でいうと、人権侵害、暴力支配がひどかった。実は、任意入院の形になっていた方が多かった。理由は、強制入院にすると、いろんな届け出とか書類を作らないといけなくて面倒だから。そして、入院直後は最低3か月、かつ3日以上は保護室に収容して、ほぼ身体拘束していた。さらに、職員が少ないからボス患者に支配させる。薬漬けにする、番号で呼ぶ、院内での使役労働。大和川病院で28人の自殺、変死があったという記事は、具体的に内部の協力を得て調べ上げた。

安田病院、大阪円生病院でも、医師の診察が何か月もない、ナースコールがない。まずレセプトをこしらえて、レセプトからカルテを書く。カルテをもとに、実際の投薬をするかどうかを決めていく。実は投薬や点滴をするのも面倒だから、点滴液をトイレに流してしまう。そういうことを看護師がやらされていた。発熱したら熱の高さによって病名をつけるという、ずさんな診療マニュアルもあった。ほかにも医師がやるべきこと、たとえば死亡診断書を書くことを看護師がやっていたし、看護師がやるべき点滴をヘルパーがやっていた。保安職員が注射を打つことをさせられていた。冷房、暖房もほぼなかった。死因も適当に書かれていた。そういう実態を暴く記事を書いた。

これらの目的は金もうけである。職員の人数を水増しすると、高いランクの看護料、入院料を得られる。実際の医師、看護師は、医療法の最低基準の2~3割しかいないので、人手不足で医療の内容がひどくなる。

3つの病院が行政から請求されて返還した金額が2年半の分で24億円あまり。これはあくまでも差額で、不正な請求額と正当な分の差額が24億円あまりということだ。

幽霊職員の中には、本当に亡くなっていた人や、裁判の相手の人もいた。また、職員が支配されていて、抵抗できない状況もあった。ナースコールも内線電話もないのに、ナースステーションには監視カメラがついていて、院長から放送で怒られた。辞めようと思っても看護師免許証を返してくれない。内部告発しても、つぶされる状態だった。他の医療機関では能力として働けない医師や、とても高齢の看護師もかなりいた。

安田院長は刑事裁判の上告中の段階で亡くなったけど、この人は以前、衆院選に出たことがある。そして院長の人脈で政治ルート、行政ルートを使って、調査の延期の圧力をかけたりしていた。驚くべきことに、検察が家宅捜索に入ると、院長室から札束や金塊が山ほど出てきて、福祉事務所から患者あてに送ってきた生活保護費が入った現金書留の封筒もいっぱいあった。

行政は弱腰で、なかなか動かなかった。安田病院グループの1つに、安田記念財団というのがあった。院長の奥さんがガンで亡くなったということで、たくさんの基金を出して、有名な医師、政治家を役員にして、政治献金もしていた。そして保健所、福祉事務所、警察、消防の救急隊などに、お中元や贈り物をしていた。病院に営業担当がいて、あっちこっち挨拶に行ってテレフォンカードを配っていた。お歳暮として、返せないように生もののカニを届けるなどしていた。

より本質的な問題は、行き場のない患者を集めていたことだ。やっかいものを引き受けていたと言った人がいるが、ちょっと違う。高齢者も生活保護利用者も精神障害の人も、病院を選べなくて、貧しければ自己退院したら野宿になってしまう。訴える力が弱い人たちである。身寄りがなかったり、家族がいる人も家族が味方とは限らなかったりする。

福祉事務所や警察、救急隊などにとっては、安田病院グループは、なんでも引き受けてくれるから便利な病院だった。24時間、お迎えにどこまででも行きますと言って、名古屋や岡山くらいまで車で迎えに行く。ほかの病院からの転院もどんどん引き受ける。そんなところだった。だから、役所も見ないふりをしていた。

次に、箕面ヶ丘病院事件、これも大阪で精神医療オンブズマン、今の療養環境サポーターという病院訪問のシステムができるにあたって、大きな影響があった。大和川病院はひどいところだった。でも、あれは特別悪い、特殊なところだという見方があった。そのような中で2001年、21世紀になって発覚したのが箕面ヶ丘病院の事件だった。

ここも医師や看護師を大幅に水増しして、診療報酬の不正請求をしていた。大和川病院は、それほど入院は長期でもなく、退院する人は退院してたけれど、箕面ヶ丘病院は入院期間が20年や30年という人がたくさんいた。

「ポチと呼ばれた患者」という、今思えば、我ながら衝撃的な記事を書いた。この絵は職員の方に書いてもらった。その患者は、病室ではなくデイルームという、病棟のみんなが過ごすテレビやソファが置いてあるような場所に、腰にひもでくくられて窓枠につながれ、そこに畳を敷いて布団を敷いて、ポータブルトイレを置かれて寝起きしていた。食事も便座の上で食べるという生活。なんでも物を口に入れてしまうことが理由だったようだが、この生活がおよそ10年、続いていた。周りの患者や職員が「おいポチ、元気か」と声をかけていく。こういう違法拘束があった。この病院では公衆電話も使えなかった。行政が調査に来る日だけ公衆電話を出して、あとはずっと隠していた。

さらに怖かったことがある。箕面ヶ丘病院は保険指定取り消しで自主廃院になり、ほかの病院へ転院作業が行政の指導で行われた。その後、転院先のドクターたちが「箕面ヶ丘から来た患者さんたちは主体性がない、自分の意志というものを言えない」と言った。売店へ一緒に行って、ミカンが良いかリンゴが良いか聞いても、ミカンがいい?と聞けば「はい」といい、リンゴがいい?と聞けば「はい」という。長年の管理された生活の影響だった。収容所のように管理された生活で、生きる気力が失われていく。

他にもいろいろな事件がある。貝塚中央病院、ここは今も病院はあるが、違法に身体拘束された患者さんがベッドからずり落ちて、おなかが拘束帯で締め付けられ、腸管破裂して亡くなった事件があった。かつ、カルテを改ざんして、指定医が指示したように記録を書き換えていた。刑事裁判の中で、当時の院長も改ざんを認めた。

原昌平理事の著作

吉田明彦さん
兵庫県精神医療人権センター>>>詳細

大和川病院事件と箕面が丘病院事件の内容を聞いて、神出病院事件との共通性に驚いた。簡単に、神出病院事件がなんだったのかというと、非常に陰惨極まりないグロテスク、あるいはサディスティックと言ってもいいような犯罪である。しかしそれは、例外的な不埒な職員たちがやった問題ではなく、日本の精神科病院が持っている構造的な問題が必然的に生み出した事件だった、ということである。

実際のところ、神出病院事件というのは去年の3月に私たち一般に対して発覚したが、1年と数か月たってもいまだに、被害者の救済は全くなされていない状況である。個別に保佐人が支援したり、家族が退院させたりとか、そういうことはあるが、被害者を含む入院患者の方たちに対する救済は全くなされていない。真相究明も責任の追及も、本当の意味ではなされていない。なんとなく過去のことのように感じておられる方もいるかもしれないが、私の感覚としては神出病院事件はまだ始まってもいないという感じである。

まず、神出病院は兵庫錦秀会というところが持っている病院で、兵庫県西区の神出町というところにある。近所の農家の方々にお話を聞いて、この神出病院事件どういうふうにお考えですかと聞いたら、「こんな形で私たちの町の名前が全国に知られるようになって悔しい」というふうにおっしゃっていた。そうだろうなと思う。この病院も先ほどの大和川病院と同じ1963年開業という古い病院で、入院ベッド数は満床にすれば465床あるという非常に巨大な病院である。看板にあるように、同じ施設内に老人保健施設のたちばな園というのと、看護専門学校がある。このたちばな園という老人施設、高齢者施設が敷地内にあるというのが、大きな意味を持っている。理事長は籔本雅巳さんという人で、兵庫県だけでなく大阪府内に非常にたくさんの病院、施設、学校などを運営する巨大法人グループの理事長である。そして精神科で、外来もあるけれども関係者以外立ち入り禁止で、入りたければインターホンを押すことになっている。

一方、1963年というのは、兵庫県、神戸市にたくさんの病院がつくられた年である。60年代は高度成長期に入るころで、いわば、厄介者を街から追い払うというか、あるいは「精神障害者を野に放つな」ということは、実際に言われていた時期でもある。当時の兵庫県議会の議事録を読むと、議員が堂々と「もっと県立の精神病院を作れ」と「そうじゃないと私たちは安心して生活ができない」と言ってる。そういう時代だった。

神出病院は神戸市内にあるが、西区といっても北西のはずれの方で、三木市に近い。西区というのは農村地帯で、その西の方に産業団地のようにして古い大型の病院がたくさんあるという地域の一つが神出病院である。

交通アクセスはとても悪く、JRとバスを使っていくと神戸の中心地三宮から明石駅まで20分、そこからバスで50分、そしてついたバス停からちょうど1キロ歩いたところにある。小束野というバス停が最寄りで、「次は小束野、神出病院前です」とアナウンスが入り、降りて15分歩くと病院につく。病院の送迎バスもあるが、公共交通を使うとそうなる。周囲は農村地帯であり、病院の前に梨の畑があり、水田が奥にある。こんなところである。皆さんが神戸市内の病院というときに持っておられるイメージとちょっと違う感じかと思う。

外観は、非常に高いコンクリートの塀に囲まれていて、夜間になると鉄柵が閉められる。病院の建物の外にある売店の側に監視カメラがあり、近づくとライトがついて近づいた者を撮影するという非常に警戒態勢の厚い病院です。奥に警告灯の黄色いのが見えるが、これが守衛室の屋根で、何かあるとサイレンが鳴るようになっている。私も中に入れていただくときはインターホンを押して、守衛さんに中の事務局まで連れて行ってもらわないと中に入れない状況である。

この写真は病院の周りを囲った内側にあるということを示したくて出しました。外から入ってくる者をブロックするのではなく、中から外に出られないようにするためのフェンス。もっと古いフェンスが残っているところには鉄条網で返しが内側にある。病院の全体を見渡す写真というのは、新聞やテレビでもご覧になったことがないと思う。360度フェンスと植木によって囲まれ、どこからも病院の中を映す場所がない、そういう病院である。

先ほど2部で、精神科特例の話があったが、この神出病院はその中でもギリギリ、これを切ると違法になるくらい少ない。医師一人あたりの患者数が45人以上、看護職員一人あたりの患者数が3.97人。入院形態については、医療保護入院が70%以上、そして入院患者の病名うちわけが、認知症の人が41%以上で、認知症高齢者の人が非常に多い。そして長期入院の人が多い。5年以上の入院の人が25%、2018年度の調査結果なので、そのあともっと認知症の人たちの数は増えているはず。マンパワーが全然足りておらず、非常に危うい運営実態で、さらに介護ケアやいろんなものが必要な認知症高齢者の人がものすごく多い。見るからに危ない状態のこの病院の、B棟4階というところで、事件は起きた。

事件の内容についてはご存知の方が多いだろうが、詳しく伝えていない報道もあるので、読み上げたいと思う。「神出病院に勤務する男性看護師、看護助手ら6人が、入院患者たちに対し、男性同士でキスをさせる、男性患者の性器にジャムを塗ってそれを他の男性患者に舐めさせる、トイレで水をかける、患者を病室の床に寝かせて落下防止柵付きのベッドを逆さにしてかぶせて監禁する等の暴力行為を1年以上にわたって繰り返し、その様子を撮影しLINEで回覧して面白がっていた。被害者数は当初3人と伝えられたが公判で7人と認定。検察はさらに3人を加えた10人が被害者と主張していました。事実認定では7人でした」

レポート 大阪精神医療人権センター活動参加者

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この状況を少しでも改善するため、大阪精神医療人権センターでは、入院中の方から希望があれば、無償でテレフォンカードを配布する活動を強化していきたいと考えています。。

2021.11.23 更新

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