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無理難題を押し付けてくる人権のイメージが出会いで変わった│作業療法士

2021.12.27 UP

人権センターにつながったきっかけ

精神科病院に作業療法士として入職して3~4年目の頃に『べてるの家』の話を聞いて本を読み衝撃を受けました。それまでは病気を治すことの価値を教えられてきましたが、「その人らしく生きる」という言葉を知って、それは一見当たり前のようですが医療現場では当たり前になっていないと気づきました。

そして病院に届いたリカバリーフォーラムの資料を見て、行ってみることにしました。フォーラムでは自分の知らなかった、でも医療が取り入れないといけない考え方をたくさん知り、大きな衝撃を受けました。とても面白くて参考になったのですが、さあ病院へ帰ったときに話を出来る相手がいない、フォーラムで出会った全国の人たちとの繋がりも断たれてしまうと思い、分科会の座長に大阪でこのような活動をしている団体がないかきいてみたら大阪精神医療人権センターのことを教えてもらいました。

9月のフォーラムで情報を得て11月のセンターの講演会に参加しました。講演会では「精神保健福祉の未来像」「精神保健福祉法の改正を受けて次の改正を睨んで」という内容で、このようなことを考えている人の存在を知りました。

その後の数年はイベント後の懇親会にも参加してそこで出会うたくさんの方から面白い話をきかせて貰っていたのですが、機会を重ねていくうちに受付をしたり本を売ったりと出来る事を手伝うようになりました。

思い返せば、昔勤めていた病院では北欧の医療、福祉システムの研究をしている方がおり、その方から障害を持ったとしてもその人らしい生活が行えるシステムが運用されていることを聞いたことがありました。「システムが違えば寝たきりになってしまう方の数、障害を持った方の生活は全然違う」という話を聞き、1年目のその驚きも今に繋がっているのかなと思います。

後輩の姿から自分への気づき、そして希望につながる

精神科に興味があったので今の病院に移ったのですが、不勉強だったので、精神科の作業療法はいかに楽しいレクレーション活動を行って元気になってもらうかというものと思っていました。しかし慣れてくると、「こんなんでいいんやろか」、「レクレーション活動に一生懸命取り組むけどこの先のこの方の生活につながっていくのか?」「いやそうでもないようだ」という気がしはじめたのです。自分も周りの人も同じようなことをしている中で精神科って難しいなと思いながらやっていました。

その後、後輩が出来たのをきっかけにある変化が生じました。私のそれまでの言葉遣いはため口のようにかなりラフでしたが無意識でした。でも後輩が同じような言葉遣いをしたのを見て自分の言葉遣いに気が付いたのです。それで言葉遣いを変えてみたら、入院している患者さんの反応が変わって、悪いのは私だったということに気づかされたのです。

今まで何をやってもあかんと思っていたのですが、この経験が希望につながりました。

自分たちがダメなことをしている可能性が大いにありこれは大問題だけど、でも自分が意識することで変わる余地がある、もっとできることがあるのではと思えました。

そして変わる余地を明らかにしていくヒントになったのがべてるの家の「そのままでいいと思える方法」であり、自分には縁遠いと思っていた「人権」にまつわる色々なことを人権センターを通して学んだことでした。

「人権」を意識したことで楽しめるようになったこと

元々「人権」ということばは、言っても仕方がないことを言ったり、無理難題を押し付けてくるようイメージを持っていました。

しかしセンターにかかわるようになり、教科書の文言ではなくて、ストーリーを通じて、痛みを感じてきた人々の話を通じて学ぶことが多くありました。学べば学ぶほど、『人権』には困難を乗り越えて蓄積してきた歴史があるんだと思うようになりました。

「人権」は当たり前にあるものではない、皆で人権というものを守り、かたちにしてきたこと、不断の努力があったこと、今もそれが必要なのだと思うようになりました。

「人権」を意識するようになると、自分とは違う価値に対して否定するのではなく、「自分はこう思うのですが・・・」と話し方が変わりました。なのでどのような相手とでも話しやすくなるし、全然自分と違う価値感の人に出会えた時はかえって面白いと思えるようになりました。自分とは違う価値をも大事にし、その価値をもどう実現するか考えるようになる。人権について学ぶと、日々の実践の中でも「一緒に考えさせてもらおう」という姿勢になったように思います。

前は自分や他の職員がその立場から患者さんを「怒らないといけない」ことがあると思っていました。今でも職場では「(患者さんを)怒っといたで」という言葉を聞くのですが、「患者さんを怒る」ってどういうことやろう、私たちの立場って何だろうと疑問が生まれました。医療っていいことをしているつもりになっているので、無批判にそういう言動をしてしまいやすくてそれは怖いことだなと思っています。医療の現場にとって、「人権」って当たり前のものではないのです。

「人権」というのはそれぞれが学んで、それは実践に繋がるもので、自分も人権センターの活動を通して学んでいるなあと実感するところです。仕事を通しての気づきで自分が変わり人権センターに出会い、活動していく中で自分の仕事が面白くなったと感じます。

人権センターにかかわって

学生時代から「患者さんのことを考えるように」と言われ続けてきて違和感はありました。自分が「その人のために」と考えたことが本当に患者さんには正解なのかなあと思っていましたが確信を持つことはできていませんでした。

人権センターに関わってよかったのは「『自分ですべて出来ない』でいい」と自信をもって思えるようになったことです。医療従事者として、この人の「役に立たなければ」「治す責任がある」と思っていましたが、どの治療、どの暮らしを選択するか決めるのはご本人にあるのだと気づいたんです。それまでは、この人に出来ること出来そうなことをこちらで決めないといけないと思っていて、その責任がこちらにあると思うと「これは出来ないかもしれない」「こんな失敗したらあかんのと違うか」となっていました。

でもその人からしたら「何で勝手に俺の事決めるんや」ということです。

「私たちのことを私たち抜きで決めないで」という言葉が出てくるということは、これまで医療者らが勝手に決め続けていたからこその言葉なのだろうと思います。その人がしたいことを教えて貰うことが本当に大事だとわかり、仕事の仕方がかわりました。

勝手に決めてはいけないことを理解してからは、耳を傾けることを凄く意識しています。私は入院が長い患者さんの多い病院に勤めていて、意見をきいてもらえなかったり、話しても否定され続けてきた人たちが多くます。その人たちに選択肢をお伝えして、自分で決めていいのだとか自身の人権について知ってもらえるような話し方をしたいと思うようになりました。

「退院支援」はここ10年くらいで病院の中で聞く回数も多くなってきました。ただ、職員が無理だと思ってしまうとご本人はスタートラインに立たせて貰えない。退院出来そうな人はすでに退院してもらっていると捉えている人が結構多いので、人権センターの活動で知ったことを本当はもっともっと伝えていきたいです。リハビリ担当として例えば精神医療審査会のことも選択肢として伝えることもあります。ただ、まだまだ力が弱くて役に立てないことも多く、この人たちの人生を奪うことになっているのが心苦しくなる時もあります。

病院の自浄作用は難しいです。医療者には高い倫理観が望まれますが倫理観頼みでは厳しい、だからシステムを変えて行かなければと思います。

権利擁護システム研究会

私は2017年度からはじまった権利擁護システム研究会にはほぼ参加しています。

研究会は精神医療をゼロから考え直そうというところから始まったと記憶しています。最初は日本では「人権」を「怪しい」「怖い」みたいにとらえられることが多いよねという話をしながら、人権をちゃんと捉えなおした方がよいのではないかということ、具体的に現状の権利擁護システムはどう運用されているのか?例えば精神医療審査委員の弁護士さんに運用の状況や色々な場面での対応を訊いてみたりその問題を深めたり、目標はその先の政策提言等につなげることになっています。

研究会ではいろいろなテーマを扱います。強制入院、身体拘束や社会的入院を「難しい問題としてとらえない」と意見に同意です。こういう大きく複雑な話ではつい「難しいですよね」と思考停止に陥る罠があるような気がしますが、考え続けていきたいと思っています。

いろいろな人と出会える楽しさ

活動参加者の交流会はコロナが始まった頃に事務局から何か参加者が集まれる会をできないかと提案があって始めさせてもらいました。私にとって、人権センターの講演会や研究会はその後の二次会、たまには三次会があってそれに魅力を感じていました。来る人来る人面白い人が多くテーマに縛られずに話をされるのを聴くのが好きなんです。

今はそれができないのでオンラインで交流会をはじめました。オンラインだとテーマに集中してしまいがちなのですが、まとまりがなくてもこれまでの懇親会のようになるべくフランクに話が出来るような交流会ができたらなと思いながらさせてもらっています。

私以外の方にとっても大阪精神医療人権センターがそういった出会いの場、次の日からもがんばれる力をもらえる場になったらいいなと思っています。


権利擁護システム研究会参加者(匿名) /インタビュアー精神科アドボケイト 大倉弘子

※本インタビューはSOMPO福祉財団のNPO基盤強化助成で実施しました。

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「声をきく」という価値観を実現する│人権センターニュース153人権センターのFacebookの記事に、コメントをすることが僕の「扉をひらく」活動です。法制度のことや入院に関することなど、家族の立場として間接的にしか聞くことができませんのでよくわかりません。講演などに行っても頭がこんがらがってしまいます。
抑圧と差別に立ち向かうのは「のびのび暮らしたいから」志も高き先達に導かれ1985年、大阪精神医療人権センターの結成総会に参加しました。その後初期の電話相談(入院されている方から人権センターにかかってくる電話での相談)に参加しました。何もない事務所に電話機とノートがポツンとあるようなところでした。

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