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みんなのために、自分のために│精神科権利擁護のボランティアをする

2022.07.15 UP

みんなのために、自分のために
小暮主歩 精神科アドボケイト(面会参加者)書き起こし編集ボランティア

活動参加のきっかけは身近にあった

ゼミの先生の専門が精神保健福祉関係で4年前の4回生の時に養成講座のことを紹介してくれて参加しました。参加した理由は、精神保健福祉を勉強していたからということではなく、家族が十数年前から精神科のクリニックに通っていたことだと思います。
また、自分も精神疾患になるかもしれないという意識もあり、もしかしたら入院することもあるかもしれないと思ったとき精神科病院を全く知らないわけですから、どんな場所なんだろうという興味もありました。また、授業で精神保健のことを学んではいましたが、この目で実際を見ておかないといけないという思いもありました。

家族の入院

家族が発症したのは僕が小学生の頃らしいです。僕が高校を卒業したぐらいの時期にそのことを聞きました。服薬していたのは知っていましたが気にはかけていませんでしたし、病気のことを言われたときもそんなに驚きもしなかったです。
家族の症状には少し波があり、元気な時とそうでない時とがあります。20歳前後の頃に今まで見てきた姿と違った時があって、その時の自分には怖く感じました。家族のことが怖かったというよりも症状にびっくりしたこと、そして自分が何も出来ない、どうしようもないという状況が一番怖かったです。
その時にどうしようもなかったこととか、結果的に入院させてしまったことは今でも引け目に思うことがあります。大学で精神保健福祉のことを学んできて、精神科病院のことも知っていたのになぜ入院させちゃったのやろうというのはありました。僕以外の家族は入院させようと思っていて、僕も休むという意味でいいかなと思って賛成しましたが、結果的には入院中傷ついたことがありました。入院以外の他の手段があったかも知れないので、何でその時に深く考えられなかったのやろうかとも思います。
また、もし入院するとしても、入院する前に病院の実態が知れたらよかったです。ホームページなんか見るときらびやかに紹介されているから実際のことがわからなかったです。

友人のこと

僕は中学、高校の時は学校の先生になりたかったので教育を学びたいと思っていました。ただ、当時家庭にちょっとしんどいことがあった同級生の友達がいて、その友達の話をきいていると、もちろん教師も大事な仕事ですが、教育の分野だけで出来る事って限られるのかなとも思うようになりました。家庭にしんどいことを抱えている人の話をきくだけではなくて力になれるような仕事があればいいなというので教育と福祉の両方学べる大学に進学しました。

大学の授業で印象に残ったこと~先生の話し、当事者の話し~

大学で学ぶ中で病院の中にあった人権侵害という言葉だけでは収まりきらない、その人の尊厳や人であることを否定されるような現実があることを知りました。例えば、大学の先生からのお話で印象に残っているのは、その先生が学生の頃、精神科病院での実習中に、廊下でずっと歌っている入院中の方について、あるスタッフが「あの患者は何も聞こえていないしわかってもいないから」とその人の前で言ったこと、でもその先生が実習中に発熱で休んだ後にその患者さんに挨拶をしたら「もう熱は下がったの?」と声をかけてくれたという話をききました。それを聞いた時にぐっと来るものがあったんです。
ゲストスピーカーで来てくださった当事者の方の隔離室の話も衝撃的でした。喉が渇いても水が飲めなかったからトイレの水を飲むしかなかったとか、薬でお尻が腫れあがって座れなかった、また、助けを求めても鍵がかかっていて誰も助けに来てくれなかったという当事者の話をきき、その光景が思い浮かぶと気持ちが沈みました。また、ある当事者の方が書いた文章を読む機会があったのですが、病院での経験を「人間が人間にしてはいけないこと」と言っておられたことが忘れられません。

面会活動について

コロナ前に数回いきました。「病棟です」と連れて行かれた所が閉鎖病棟だったのですが、看護師さんがジャラジャラと鍵の束を持っていて幾つか探してガチャンと閉めるあの音を聞きました。その後、「中庭です」と見せられた場所には網が張り巡らされていました。外じゃないみたいな、鳥籠みたいになっていて、木が植わって花も咲いているのですが空が網越しにしか見えませんでした。入院中の方はここで網越しに空を見ているのかなあと思うと苦しくなりました。
トイレ付近は匂いがきつかったし爪を伸ばされっぱなしで放置されている高齢の方がいたりして。そして話を聴いていたら5~6年、10年入院していますという人がおられました。

本音が言えない場所

入院中の方がポロッと「病院のスタッフに本音を言えない」と言われました。理由をきくと、本当のしんどさや思いを言うと保護室に入れられたり薬を増やされたり面会や外出が制限されたりすることが心配だから言えないのだと教えてくださいました。本音を言えないような場所で、その人が楽になれたり落ち着けたりするのだろうか、、、と思いました。

家族の入院 驚いたこと

コロナ禍に入る前に家族が1か月仕事を休んで精神科病院に入院しました。病院の環境はひどいこともなく、不潔というわけでもありませんでしたがそれでも驚くことがありました。開放病棟といっても中庭が建物に取り囲まれているから閉じ込められている感がありました。お見舞いにいくと一日中ナンプレをやらされていました。作業療法とのことでしたが、本人は全然数字が好きじゃないんです。何でこんなんずっとやらされているんだろうという話をしました。

家族の入院 傷ついたこと

仕事が原因で心がしんどくなったのですが、担当の精神保健福祉士の方が家族に対して「仕事を辞めたらどうですか?」ととれるようなことを言ったらしいです。当人にとってどれだけ思い入れのある仕事だったのかを想像したのかなと思ってう~んとなりました。どういう話の流れで言ったか判らないけど、仕事を大事にしてきたその気持ちを受け止めて欲しかったです。本人はもちろん家族も。
だから、病院にとても傷つけられたというイメージが強く残りました。結局そのことは言えないままその気持ちを伝えることなく退院となりました。

ある当事者の方が手記に3回ほど病院から脱走したと書いていました。いつも病院の職員に連れ戻されて「何処から逃げたの?」ときかれたそうです。「『なんで逃げたの?』と理由をきいて欲しかった」と言われていましたが本当にそうだなと思いました。私の家族も、主治医や代理の医師はいたものの、本当の気持ちを話せる人は入院中にいなかったように感じました。

また面会にいきたいその理由

コロナが落ち着いたらまた面会に行きたいです。今、大学院で当事者の方のお話しをきいて、それを研究としてまとめています。そこできいた入院中のエピソードは40年近く前のことでしたが、今もやはり自由がなくて管理的な面が強く、根本はあまり変わっていないのかなと思うものでした。それを聞いたからには何もしていないままではいられないという気持ちがあります。
それに自分がもし入院するとなったときに、安心出来る病院がもっと増えたらいいな、自分とか身近な友達とかみんながというのもあります。

病院以外の選択肢

また、長く治療を続けるのに入院という形ではなくてもいいのではと思ってもいます。アメリカではピアランレスパイトというものがあって当事者が運営しているそうなのですが、普通のホテルのようで治療とかがなく、地下に音楽スタジオ等があるそうです。そこでピアノを弾いたり大声で叫んだり、ヨガとか自分の好きな事が出来る。当事者のスタッフもずけずけと話をきいてくるわけではなくゆっくりと、ただただ休める場所があるというのを聞いたことがあります。入院とは別の選択肢としてそんなのができていったらいいなと思います。

※本インタビューはSOMPO福祉財団のNPO基盤強化助成で実施しました

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子どものときの経験から、精神医療をよりよくしていきたいが統合失調症と診断されており、精神科病院に17年もの間入院していました。入院したのは私が中学1年生のときでしたが、母が統合失調症と診断を受けたのは私が生後半年の頃だったと聞いています。

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