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隔離拘束ではなく尊敬ある治療関係へ、精神科医・看護師・アドボケイトによる「治療文化」と「構造問題」への問い

2022.02.26 UP


2021年11月28日開催
みんなを困らせる今の仕組み~精神医療のあり方、治療文化を問い直す~ 詳細

このシンポジウムは、本人と家族、本人と医療スタッフの間に対立関係を生んでしまう「治療文化」「構造的な問題」に注目して、日本の精神科医療を考えることをテーマとしました。当日の質疑応答と、参加者よりいただいたアンケートの一部をご紹介します。シンポジウムの詳細なレポートは、人権センターニュース2021年12月号に掲載しています 詳細

くるみざわしんさん(精神科医・劇作家)
貝田博之さん(元精神科病院職員 精神科認定看護師)
竹端寛(権利擁護システム研究会・兵庫県立大学)


テーマ1 息を合わせる

くるみざわさんは、講演の中で恩師である中井久夫さんに「本人、家族、医師の『息を合わせる』ことが大切」ということ、初診で患者さんとご家族が病院に来たら、「本人とご家族と医者のそれぞれに考えがあります。三者の考えに違いがあってもいいですが、違いを認めないとそれぞれが良かれと思ってやっているのにずれてしまいます。息を合わせて行きましょう、うまく行かないことがあったら遠慮なく言って下さいね」。これを治療の最初にしなさいと習ったとお話しされました。
また、「精神科の治療文化」としてご自身が大事だと思うことは、①患者さんを尊敬すること、②待つこと、③言葉の使い方、この3点だということでした。
この講演内容を受けて、コーディネーターの竹端さんとくるみざわさん、貝田さんとで以下のようなやりとりがありました。
竹端くるみざわさんが治療文化で大事だとおっしゃった、言葉の遣い方や患者さんを尊敬するというのは、きっと接遇研修だけのことでは無いですよね。人との向き合い方とかあるいは中井久夫さんの言い方だと「息の合わせ方」だと思うのです。けれども、センターに届く「入院中の方の声」と照らし合わせて考えると、特に急性期や強制入院という場面において、本当に医療者の側が「息を合わせる」ことをやっているんだろうかと疑問に思うことがあります。それについてはどうですか?
くるみざわ「息を合わせる」ために、患者さんや家族が苦労している場合が多いと思います。本来なら、医療者のほうが苦労しないといけないのに、その努力もスキルも足りないですね。完璧は無理でも、工夫や努力ができる点はもっとあると思います。言わなくていいことを言ってしまうのを減らすとか、言うべきことを言うとか、説明を省かないとか、いくらでもあると思うんです。
竹端そういう風に医者や看護師やソーシャルワーカーといった側が患者さんとの関わり方を変えると、患者さんの病状やご家族の対応の在り方も変わってくる可能性もあるのでしょうか?
くるみざわあると思います。たとえば僕も、患者さんとの関係が荒れてしまってうまく行かなくなることがあります。そういう時に、関係の修復のためにどうしたらいいかを一生懸命考えて、手を打ちます。それがうまくいって、また「息が合えば」治療もスムーズに進むし、回復もスムーズになるわけです。気づきと粘り強さが必要ですね。
医療者同士が学び合う関係や、学びのグループを持っているかどうかが大事だと思います。その点、僕は中井さんのところにいましたので、恵まれていたかもしれません。

入院中の方と「息を合わせる」ためにできるこ

竹端貝田さんは、先ほど「隔離・拘束時は関係を構築できるチャンスになることもあった」と仰っていました。具体的なエピソードがあれば教えてもらえますか?
貝田長期的な隔離をされている方がいて、一方的な医療が続いている方がいました。ほとんど本人の意見を聴くことはなく、たとえば「開放観察します」「何時から何時まで出て下さい」「時間になったら戻って下さい」という関わり方がずっと続いていました。けれども、ある時本人が「売店に行きたい」とおっしゃった。売店に行くには私たちは何をすべきか、ご本人の意見を尊重しつつ、スタッフの意見も聴きつつ、アサーティブな(お互いの想いを尊重した)やりとりをし、ご本人の希望を実現するためにどうしていくかを考えました。すると、自身で売店までちゃんと歩けるかを考えて、隔離室の中でスクワット運動をするなどの準備をされました。結局、患者さんの意見を聴いた上でケアを進めると、隔離が解除になったということがありました。

ご家族と「息を合わせる」ためにできるこ

竹端精神障害のある方のご家族の中には、たとえばご本人が急性期とかそれに近い状態の時にご家族に暴力を向けたという経験を持たれて、そのために「ずっと入院していて欲しい」と思う方がおられるということがあります。このような状況は現場ではどのように変えていけそうでしょうか?
貝田それはたとえば、風邪をひいていて40度の熱がある時と入院して解熱し36度になった時とは全然違っていて、その時にはその時の事情があるのですよね。それをちゃんと伝えること、面会で来られた時も本人の悪いことを伝えるのでは無くて、肯定的に「こんなとこが変わりましたよ」「こういうふうにそのときのことを振り返っておられましたよ」とか、一つ一つの伝え方によって全然違ってくると思います。
竹端先ほどの大橋さんの話(人権センターニュース160号掲載)からすると「暴れた理由」みたいなものをしっかり伺った上で、実はこういう理由があったけれど随分良くなったよと伝えてくれるだけでも家族関係は変わって来るかも知れないと、そういうことでしょうか?
貝田はい。家族も本人がよくなって欲しいという思いは変わらないですからね。
登壇者著書のご紹介
くるみざわしん
精神医療連作戯曲集 精神病院つばき荘/ひなの砦 ほか3篇
竹端寛
枠組み外しの旅―― 「個性化」が変える福祉社会

精神科看護 2022年2月号(49-2): トラウマインフォームドケアの実践が広がっている

テーマ2 病気のせいにする

「病気のせい」と決めつけず、行動の理由を確認して判断することが大事

竹端参加者からの質問「暴力や暴言を含む自傷・他害行為というのはストレスにうまく対処しようとすること、つまりストレスコーピィングの結果だと思います。患者が拘束に繋がる行為をしたとしても、そのこと自体が病状や治療の対象であるのに、それをスティグマにしてしまったり、それで差別してしまうことが問題だと思うのですが」ということですがどうでしょうか?
貝田私もそう思っています。暴力・暴言には理由があるので、必ず、その理由を確認することが大事なのですよね。その理由が病的体験、幻覚・妄想などに左右されているものなのか、それとも「それはイライラするよね」と理解出来ることなのかを、ちゃんと判断をすることが大事です。そのように考えると、暴力・暴言はコーピィング行動なんです。その人が何か対処をしようとやっていることなので、ちゃんと確認して本人に説明をし、もしも行動制限となるならば、ちゃんと説明の上できる限りの同意を求めないといけない。そこを慎重にやらないがために本人側として「よくわからないまま隔離室に入れられた/隔離された」という言葉になるのだろうと思います。

外来での「病気のせい」にしない治療

竹端暴力や暴言に対して、それこそ患者さんを尊敬せずに「病気のせいでしてしまうのだから縛るしかない」「閉じ込めるしかない」「薬漬けするしかない」みたいなものが背景にあるのではないかと、いつももやもやしてしまうのですが、それについてはどう思われますか?
くるみざわ先ほど竹端さんや貝田さんのお話のなかにあったコーピングという視点を、僕も暴力に対して使うようにしています。今、僕は精神病院には勤務していなくて、クリニックでの外来診察が主ですが、診察で患者さんが家の中で暴言を言って家族を困らせるとか、リストカットなどの自傷行為をして困るとかいう話が出た時には、その行為をする前、どんな心境、状況だったかを患者さんに尋ねて、言葉にしてもらいます。たいてい、何かもやもやがあります。そして、暴力や自傷をすることで、もやもやした気持ちが解消されて楽になった面があるのではないかを確認する。あなたがしたことは役に立つ面もあった、もやもやへのコーピングだったんだねと、プラスの部分に光を当てて、でももっと上手な、自分へもまわりの人へも負担の少ないコーピングはないかなと尋ねることが大事です。このやり取りを何回もしておく。一回でうまく行かなくても繰り返すことで、暴力や自傷の意味付けが変わり、もっといいコーピングを見つけるヒントになる。
けれども、これは外来での診察ですから僕の裁量の範囲内でやれるんですが、入院となるとこうはいかないですね。病院の事情がどうしても入り込んでくる。

「病院の中だから」隔離拘束をするという話が発生する

くるみざわ入院中だと、暴力や自傷を理由に隔離する、拘束するという話になります。僕は隔離や拘束が生じるのは入院施設があってそこに入院するからだと思っています。だから精神病院は、隔離や拘束の原因になるからなくした方がいいのではないかというのが僕の考えです。
幻覚とか妄想にとらわれた状態になってしまって、自分でも自分の状態をコントロールできなくなった場合、やむを得ず、保護として許されているのが隔離、拘束といった行動の制限です。でも、幻覚・妄想の状態にあることと暴言・暴力はイコールではないですよね。暴言や暴力を使わなくてもすむような状況、環境を作る必要があります。一見、問題のある行動に見える暴力や自傷にコーピングの可能性がどこまであるのかを見極めないといけないと思います。その点が、「ほったらかし」になっているのではないでしょうか。

私たちの活動は、皆様のご寄付と会費に支えられて継続することができます。例えば、賛助会員として人権センターニュースの購読を2年間継続すると、精神科病院に入院する方へ面会に行くための交通費1回分になります。

  • 3000円の寄付で…30名の方にパンフレットを郵送することができます。
  • 1万円で…2~3名の入院中の方に会いに行くことができます。
  • 3万円で…約2週間の面会活動を支えることができます。
  • 5万円で…6回以上継続して面会している12名の方を続けて応援できます。
    ご寄付は確定申告により税金の控除が受けられます。
  • テーマ3 ラベリング・専門用語

    専門用語が医療者の態度や考え方を狭め、医療の質を下げる側面がある

    竹端 先ほどのお話では、診断や精神医学の言葉遣い自体が差別用語ではないかと感じることがあるということでした。本当はそういう差別したり、されたりしない関係性でいられる言葉があった方がいいと思うのですが、どうしたらいいのでしょうか?
    くるみざわ なるべくというか、ほぼ全部日常の言葉でしゃべることが大事だと思います。専門家は、相手との間に線を引いて、相手と自分を切り分けて観察することを仕事でやっているわけです。その姿勢は、自分を高みにおきますから、差別を生みやすいというか、差別と地続きのとろこがある。
    なので、なるべく平易な言葉、日常の言葉が良いような気がします。さっき大橋さんが「まとまらない私の言葉を聞いて欲しかった」と仰っていましたね。すごくいいなと思いました。まとまらない状態を表す専門用語が医者の頭の中にあったりすると、医者はその場で、目の前にいる患者さんに起きている「まとまらない状態」からこころが離れてしまうんですよね。専門用語というのは、実は医療者の態度や考えも狭めてしまう。医療の質が下ってしまう。患者さんにとっても医療者にとってもマイナスに作用してしまう面が、専門用語にはあると思います。

    ラベリングをせず、「ただ人に対してどう向き合うべきか」が基本

    竹端 今のくるみざわさんのご意見について貝田さんはどう思われますか?
    貝田 本当にその通りだと思っています。基本的に変なラベリングをせず、ただ人に対してどうするかという話になると思うのです。「目の前で苦しんでいる人に何をするの?」「どんな言葉をかけるの?」といった基本的なところが大事だと思うのです。
    専門用語や病名、症状、病的体験という言葉などは、スタッフにとってはすごく都合が良いものになってしまっています。私は入院中の方の大きな環境要因はスタッフだと思っていて、患者さんが怒ったり問題行動と言われることをした時は、意外とスタッフが関わっている場合が多いんです。原因を確認すると、スタッフが人として相手(入院中の方)を敬う行動がとれていないということがある。だから、本当にそんなに難しいことじゃなくて、人に対して何をすべきか、どう向き合うべきかというところが大事なのではないかと思っています。

    シンポジウムのレポート掲載号人権センターニュース160│20211年2月号大阪精神医療人権センターは、「社会をかえる」という価値観に従い、政策提言活動や精神疾患、精神障害に対する差別、偏精神科病院での治療について「隔離や拘束はせざるを得ない」「医療保護入院はどうしても必要だ」など、様々なことが言われています。けれども、それをやっていない他の国と比較をすると「本当にそれは必要なのだろうか」という疑問がわき、日本における精神科特有のものの見方や言い方、あるいは『治療文化』と言われているものがあるのではないか、本当にそれで良いのかどうか、わからなくなってしまいます。 詳細 オンラインショップ 

    精神科医療の根底にある変わらないものをどうやったら変えられるのか、真剣に考える時間でした。ただ、制度政策的転換によって、入院治療の短縮化がもたらした弊害、手間をかけない医療によって、傷つく患者さんがいることも知りました。誰のための入院治療なのか、医療現場で働く立場にとっては、目の前の患者さんに真摯に向き合うことを、ひたすらに続けていきたいと思いました。

    精神看護師として自分の思いを患者にどのように伝えていったらいいか分からず、古い風習に縛られて、患者を見て見ぬふりをしなければならず、そんな自分が嫌で病院を辞めようかなと考えてました。尊厳をもって傾聴し、共感する、私がやれることから実践していくこと、そして、同じ思いを持つ同志との出会いを大切にしていきたいと思いました。今後もセミナーや公演に参加して意見交換をしたいです。

    普段障害のある方と関わる仕事をしている者です。その人の尊厳、尊敬を思い行動できているのか、考えさせられました。また、自分の周りのスタッフについてはどうか、職場全体の空気としてどうか(敬意を持って関われているのか)についても、もう一度考える契機となったと思います。

    精神医療と現実の社会をまぜあわせていくこと、垣根をとっていくことが大切だと気付いた。そのためには多くの人に精神医療の現状を知ってもらうことが必要でそのためにくるみざわさんが表現活動をされているということもよくわかった。自分にできることを考えたい。

    くるみざわさんが治療文化で大事にされていることの二つ目「待つこと」が私には難しいと感じました。ついつい動きたくなったり、焦ってしまう自分の特徴を振り返る機会になりました。大橋さんが「スタッフが諦めずに希望を持って元気にかかわってほしい」とお話して下さったことは、リカバリー支援のことだと思いました。自分に余裕がなかったり、ユーモアの気持ちを忘れているときには、その空気が相手に伝わってしまっていることに気づくことがあります。一方で、気づかないまま過ごしてしまっていることも多々あるのだということに自覚的になることの大事さを改めて感じました。貝田さんが繰り返しおっしゃっていた、「難しいことではない、人としての姿勢が大事」というお話は、本当にその通りだと思います。知識や技術はもちろん大事ですが、その前に人として尊敬の気持ちで丁寧にかかわりをもつことが、ずいぶんと治療に役立つと思いました。

    大橋さんの「病気だけではなく私もみてほしい」というメッセージ、アフタートークで貝田さんが言っていた「問題解決思考になりがちだけれど、その人を人として肯定的に見続けることが大切」という言葉が印象に残りました。

    元精神科看護師の看護教員です。今回の講演・質疑応答を聞かせていただき、また、精神科の治療文化に疑問や違和感を持って講演会に参加されている方々の多さに励まされ、改めて学生たちの違和感を大切にしていきたいと思いました。

    「患者たちのまとまらない声にきちんと耳を傾け、共感してほしい」ということに、とても感銘を受けました。人として大事なことは何か?を改めて見つめ直す、とても良い機会をいただきました。

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    2020年12月20日 権利擁護システム研究会 報告くるみざわさんは、1995年に神戸で精神科医となり、2003年から劇作を学び、11年以降、精神医療をテーマにした作品を書き始めたそうです。
    人権センターニュース160│【ご報告】みんなを困らせる今の仕組み(2021年12月号)精神科病院での治療について「隔離や拘束はせざるを得ない」「医療保護入院はどうしても必要だ」など、様々なことが言われています。

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