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「精神病院はかわったか?」大和川病院問題の経過

2020.05.09 UP

第3章 大和川病院問題の経過

渡辺 哲雄

はじめに

 大和川病院は、系列の安田病院、大阪円生病院とともに2年余りに渡り医師・看護婦の数を水増しした虚偽の報告をし、また医療監視に際しては違法な実態を隠す工作をして、合わせて20億円をこえる医療費を不正に請求したとして、大阪府は3病院の保険医療機関の指定を取り消し、また医療費の返還を請求した。一方、大阪地検特捜部は、3病院の責任者であるオーナー安田基隆を医療費についての詐欺容疑で逮捕し、労働基準法違反などと合わせて起訴した。一連の経過の中で大阪府は病院の開設許可及び医療法人の設立許可を取り消し、3病院の廃院を決定した。
大和川病院は大阪市の南東、奈良県との県境に近い柏原市の大和川沿いにある単科精神病院(524床)であり、大阪円生病院(大阪市東住吉区、内科337床うち老人213床)とともに医療法人北綿会が経営し、安田病院(大阪市住吉区、内科250床うち老人130床)は個人病院であるが、3病院の実質的な経営者は安田病院院長安田基隆であった。
大阪精神医療人権センターは、1993(平成5)年に大和川病院でおきた患者暴行死事件以降、この病院が劣悪な処遇により患者の人権を蹂躙し続けてきたことを取り上げ問題にしてきた。はじめに1997(平成9)年の、病院立ち入り調査から、経営者の逮捕、起訴そして3病院の廃院にいたる経過を振り返り、次にそれに先立つ96年までの人権センターの取り組みのあらましをまとめておきたい。

職員が3病院の医療の実態を告発した

 97年3月新聞各紙は、大和川病院など安田系3病院の元職員や現職員である看護婦が語る病院の内情について相次いで報道した。彼女達は、病院が数年来医師や看護婦の数を水増しして報告してきた事実、また府・市がおこなう医療監視の際に調査員をごまかす手口について具体的詳細に証言した。大阪府が、人権センターの度重なる要請にもかかわらず、こうした証言を取り上げなかったことから、広く社会に訴える事を決意したのである。病院側からの圧力の下にあって覚悟のいる告発であったことは言うまでもない。その内容は以下のようなものであった。
医療監視の日が予告されると職員は、架空の出勤簿、タイムカード、賃金台帳を作って準備した。調査当日、3病院の職員は調査の時間のずれを利用して病院間を相互に移動して別人になりすましていた。また無資格者でも看護婦の格好をさせられた。表と裏に違う名前が記された名札をつけさせられた。安田病院では職員健診の時1人につき数枚の心電図・レントゲンを取られ、これらは架空の職員のために使われた。
告発された3病院の医療の実態は常軌を逸していた。病院に医師・看護婦が不在のことが多いために、患者が死亡しているのをヘルパーが見つけ、報告するために看護婦を探した。家族には、既に死亡していても今危篤であると電話がかけられた。死亡診断書を看護婦が書くこともあった。薬物の処方は診察なしで行われているのが普通であった。院長が脳梗塞、肝硬変などの病名ごとに画一的に決めた処方マニュアルに従い一律の処方が出された。食物を詰まらせて死亡した患者について、肺炎で次第に衰弱して死亡したようにカルテを書き換えた。酸素吸入はヘルパーの仕事だった。点滴は看護婦がするが抜去はヘルパーの仕事だった。大和川病院では患者が自分で抜くことも多かった。点滴を最後までする時間がないので、途中で抜いて残りは捨てた。
ある看護婦は、午前中は安田病院で何十人もの患者に点滴をしてまわり、午後は大和川病院でカルテや処方箋書きをした。ヘルパーも不足なので老人はベッドに縛りつけた。患者が既に死亡しているのに手足が硬直するまで気がつかないこともよくあった。暖房や冷房は設置していないか、あっても使用することが殆ど無かった。院長が使用を制限していたのである。このため、安田病院に入院していた老人は、冬は肺炎が多く夏は脱水の患者が増えたという。

調査のやり直しと病院の偽装工作

 97年3月中旬の大阪府議会保健福祉委員会はこの問題を取り上げて追及し、府は厚生省、大阪市とともに3病院の一斉立ち入り調査を実施すると答えた。
人権センターは93年以降、大阪府にしばしば大和川病院に対する厳正な調査を要請してきた。96年夏の交渉では、医療監視の際に偽装工作をしたと証言する複数の元職員も同席して、このような誤魔化しを許さないためには3病院同時の予告なしの調査が必要であると訴えたが府は受け入れようとはしなかった。こうして96年12月の医療監視も旧来のやり方を改めることなく実施された。
3月19日、大阪府は厚生省、大阪市とともに系列3病院の一斉調査を実施した。厚生省1課、府5課、市2課、3保健所など90人が参加する大掛かりな合同調査となった。各課が分担した調査は、医療法、健康保険法、老人保健法、生活保護法、精神保健福祉法の5法に基づき、医療実態、施設管理、通信面会などの人権、日用品費の管理その他多岐に渡るものであったが、調査目的の中心は職員水増しによる不正請求の実態把握であった。
この調査の前日18日、大阪労働基準局は、賃金の不当な控除、不当な時間外労働、割り増し賃金の未払い等労働基準法違反の疑いで調査に入り、出勤簿、タイムカード、賃金台帳、職員名簿、就業規則等を点検した。職員から労働基準局に、患者が退院するか死亡すると給与から罰金が差し引かれる、人権センターに患者が電話すると担当の職員が罰金をとられる、退職しても看護婦免許証を返還してくれない等の訴えが多数寄せられていたからである。既にいくつかのケースは民事訴訟として争われていた。
19日の合同調査の時も病院側は、職員の不足を誤魔化そうとしていろいろな工作をした。同院と関係のない看護婦が「監査が来るから来て欲しい、1日でもよい、3万円渡す」と頼まれた。調査員に対して非協力的で、帳簿類のコピーにも抵抗し、帳簿の即時提出を渋ったりした。看護婦に名前や生年月日を尋ねてもプライバシーだから言いたくないと拒んだ。そう対応するように指示されていたのである。当日の調査で在職を確認することが出来なかった職員について、府は職員名簿に基づき郵便で確認するという作業に入った。
前年12月の医療監視の際にオーナー安田基隆は、厚生省小林秀資保健医療局長に調査延期を依頼する電話をかけていたことが、内部告発により明らかになった。事前に府から監視の日程を通知された安田は「財団のパーティーの準備で忙しい、調査を延期して欲しい」と電話をかけた。局長は「私の所管ではない。担当課に聞いてみましょう」と答え、医療監視を担当する同省健康政策局指導課や大阪府環境保健部の幹部に「安田理事長が困っているようだ、延期できないか」と打診していたという。ここでいう財団とは「安田記念医学財団」である。88年府の認可団体として設立され、92年に厚生省の認可となった同財団は、安田が私財31億円を出して運用し、「がん」研究者への助成金や医学生、看護学生への奨学金を出していたとされる。財団理事には大学医学部教授、府会議員など12人が名を連ね、顧問には衆議院議員4人の名があり、評議員24人には東大、慶応大、神戸大などの医学部教授と共に当時の日精協会長河崎茂氏の名もあった。安田は日頃から厚生省など多方面にコネがあることを誇示していた。

職員の不足が明らかになり患者の転院が始められた

 調査の際に大和川病院では20人の患者から退院希望があったため、大阪府精神医療審査会は4月初旬より立ち入り調査を開始した。
府・市は3病院調査後まず、病室の暖房、防災体制、ナースコールの不備などを指摘して改善を指導した。暖房について安田病院は十分な設備が無く、大阪円生病院は故障を長年放置し、大和川病院では病室に暖房が無かった。安田病院では酸素ボンベが廊下に放置され、非常灯が点灯せず、避難用階段に障害物があると指摘された。しかしこうした事は病院も放置してきたが、定期的監視で状況把握していた行政自身も放置してきたのである。
新聞報道の後、人権センターには患者、家族、職員からの情報や問合せが急増した。そこで弁護士有志は「安田系3病院被害者弁護団」をつくって、4月19日被害者のための臨時の電話相談日を開設した。当日弁護士、ソーシャルワーカー等の前に置かれた5台の電話は鳴りやまず、半日で61件の相談が集中した。大和川病院に入院していた患者からは「医師の診察がない」「看護人から暴行を受けた」「生活保護費がもらえなかった」と、また職員からは「賃金不払いや罰金の天引き」「研修名目のただ働き」「看護婦免許の未返却」という苦情が多かった。
5月6日、大和川病院で3年前に職務中に急死した保安係の職員の家族が、死亡の原因は入院患者とのトラブルにあり、病院に損害賠償の責任があるとして、大阪簡裁に民事調停を申し立てた。この男性職員は、94年4月に病棟を巡回中に患者数人と口論になり備え付けの消火器を噴射された後、1階の診察室に放置されたまま死亡したが、大和川病院は「狭心症」として死亡診断書を書いていたものであった。

 5月初旬、府は先の調査の結果医師、看護婦の数が医療法の定める基準の半分から2/3も不足していることが判明したとして、系列3病院に対してその時点の職員数に合わせて患者を減らすため、約300人の患者を転院させるように指導した。職員不足を認めて病院が提出した改善計画は、新しい患者を当面受け入れない、退院できる患者はさせる、不足の職員は医師会に頼んで増員を図るといったものであったが、府はいずれも具体的実現性が認められないと判断し、患者の個別転退院計画を掲出するように指導し、府医師会や大阪精神病院協会に転院患者の受け入れについて協力を要請した。こうして、かつてない規模の患者の移動が開始された。
一方、大和川病院に対しては、精神保健福祉法に基づく指導もなされた。それは、診察なしで強制入院させている、調査日以外は公衆電話が詰所の中に設置され、入院患者が事実上使えない、手足を不必要にベッドに拘束した、等の点について改善を求めたものである。
当時の衆院厚生委員会で小泉厚相は、安田系3病院の調査について「厳正に対処したい」と述べ、高木保険局長は「職員数が足りなければ、看護料を返納してもらうし、状況が悪質なら保健医療機関の指定取消処分が行われる」と答弁した。

 大阪府は、大和川病院に勤務する精神保健指定医について、厚生省に指定の取り消しを要請することを検討した。取り消しの根拠となる事実として指摘されたのは、(1)診察せずに医療保護入院させている、(2)20人の退院請求患者のうち10人に精神医療審査会による審査の結果退院命令が出るなど回復した患者の退院が適切になされていない、(3)患者が入院した際病状とは関係なく一律に数日間保護室に隔離している、(4)任意入院患者が退院を申し出ても不当に留め置いた等である。全国的に見ても指定医取り消し処分はこれまでは医業停止に伴う2例のみであり、都道府県からの取り消し要請は制度発足後初めてであった。
府は同時に同院の指定医が4月以降出勤せず不在である状況について、16日までに常勤の指定医を確保するように命令し、改善が図れなければ、保護入院の患者60人について指定医を派遣して診察し、入院の継続が必要な例については転院させるという方針を出し、近隣6府県に対しては大和川病院への患者の搬送を止めるように依頼する文書を送付した。
5月中旬、大阪府は職員の個別面接調査などを踏まえて3病院が看護職員数などの虚偽報告を続け、診療報酬を不正請求していたと断定、健康保険法に基づき3病院の保健医療機関の指定を取り消す方針を固め、この処分に向けた監査を5月末までに行う事とした。また、指定医の確保について、病院が最終的に「指定医を確保できず、転院のための診察が適切に出来ないので府の協力を要請したい」と報告して、大和川病院についての患者転院作業は本格化していった。

厚生省・大阪府はこれまでの医療監視の杜撰さを認めた

 5月19日、大阪府は最終的な3病院の調査結果を公表した。これによると、安田病院については、医師数は病院報告28に対して在職が確認できたもの8、調査不能20、看護職員数は病院報告108に対して、在職確認13、架空と判明したもの59、調査不能36であった。大阪円生病院については、医師は病院報告22に対して在職確認12、架空判明1、調査不能9、看護職員は病院報告100に対して在職確認42、架空判明35、調査不能23であった。大和川病院については、医師は報告28に対して在職確認13、架空判明10、調査不能5、看護は病院報告137に対して在職確認47、架空判明63、調査不能27であった。これを3病院について総計すると、医師は病院報告数78に対して在職が確認できたもの33、看護職員は病院報告345に対して在職が確認できたもの102という結果であった。「調査不能」は名簿記載の住所に居住が確認出来なかった等であり、限りなく「架空」に近いケースである。架空と確定された数としては医師11、看護157ということになる。こうして府は過去2年半の期間における不正請求を認定し、およそ20億円前後と見積もられる返還請求額の確定作業に入ることになった。
さて、大阪府は明らかになった医療監視の杜撰さについてどのように釈明したのか。府医療対策課長は記者会見の席で、過去の医療監視で病院の虚偽報告を見抜けなかったことについて弁明し、行政には権限が無く提出された書類が整っていれば信じるしかない、今後は医療監視の方法について再検討したいと述べた。
府知事は「弱者を救済するがごとくに見せかけ利用した悪質な犯行だ。医療法などに基づいて告発の可能性も検討する。事前通告して時間があれば虚偽申告の工作もできるので、抜き打ち検査体制をいかに整えるのかを協議していきたい」と述べた。
5月30日、府は安田基隆と事務長らを呼び保健医療機関指定の取り消しのための監査を行った。安田らは関係書類を労働基準局に押収されていることを理由に明確な回答を避け、水増しについては記憶に無いなどとして否定した。
6月27日、厚生省は、都道府県に通知して、(1)医療法上問題がある疑いが強い医療機関については抜き打ちで医療監視を実施する、(2)職員水増しを隠すために書類を改ざんする医療機関もあることから、税金関係の書類を厳重に調べたり、必要に応じて職員一人一人に面接調査をしたりする、(3)医療監視の度に系列病院間で職員を移動させて必要な職員数を確保しているように装う手口を許さないために、系列病院に同時に立ち入り検査する、などを内容とする偽装工作対策を指示した。
大阪府は、3病院の患者の転院退院を指導し、6月末には、安田病院153人、大阪円生病院141人、大和川病院257人となって、3月時点で満床だった入院患者が総数で半数を切るまでに減少していた。

安田院長の逮捕から全患者の転院へ

 6月に入り大阪地検特捜部は3病院について詐欺容疑で捜査を開始し、7月17日3病院などの家宅捜索に入った。大阪府は同日3病院の新看護基準を、届け出時に遡って取り消すとともに安田院長を詐欺罪で大阪地検に刑事告発した。容疑の一部について具体的に記すと、安田病院121床及び大阪円生病院124床は、94年10月一般病棟として患者対看護4:1として届けられ(4B補10)、患者1人あたり1日4240円の看護料を請求していたのが、実際には患者対看護5:1未満(1420円)を満たす職員しかおらず、患者1人1日あたりその差額2820円を詐取していたというものである。大和川病院についても同様の容疑である。職員からの事情聴取を進めた特捜部は、不正請求に関する虚偽報告の作成などが院長安田基隆の直接の指示に基づくものであることの確証を得て、7月28日安田と小西総事務長、山口事務長、大村婦長、木之下事務員を詐欺容疑で逮捕し、まず安田病院の生活保護受給分についての立件を準備することになった。家宅捜査の際、帳簿に記載のない金塊、プラチナなど数千万円相当の貴金属や多額の現金が院長室などから発見された。
一方大阪府社会保険医療協議会は府から3病院の指定取り消しの諮問を受けてこれを了承する答申をした。府は、院長らの逮捕を受けて緊急の医療監視を実施し、適切な医療の継続は困難な現状であると判断し、28日時点で在院していた472人全員の転退院を実施するべく大阪市と合同で「安田系3病院転退院対策協議会」を設置し、百数十人の職員を3病院に配置して移送の作業に入った。翌29日には134人が転院した。
府は7月末医療法に基づき3病院についての開設許可を取り消す方向で厚生省と時期などについて協議を始めた。
安田病院の患者はその4割が生保受給者であり、患者を送り込んでいたのは広く関西一円の社会福祉事務所であった。3病院は職員を福祉事務所に派遣し、テレホンカードを配って患者斡旋を依頼し、患者1人を獲得すると5000円の手当てを与えていた。
入院費の逓減により長期在院を抑制するという国の医療費政策により在院の長期化を嫌う病院もあったが、安田病院は、極端に職員を減らして人件費を切り詰め、医療ではなく収容の場の提供に徹することにより、長期在院させても儲けようという方針を貫いていた。このようにして、他の病院では断られる患者も引き受けてくれる病院としての評価が定着していたのである。
安田は新聞のインタビューに応じてこう答えている。
「患者に上下はない。受け入れを拒否される患者をどこか面倒を見ないといけない。そうした意味で社会的貢献をしている。職員の不足は新聞報道されたり、府などの訪問調査の後に減ったのである。患者が死亡した際に看護婦から罰金を取るとは誤解で、初七日を終えてお悔やみに行きなさいという意味で、その時の時間給分1500円程度を引いている。寄付と解釈していて、毎月の職員を集めた食事会で還元している」

指定医療機関の取り消しから廃院へ

 8月5日、府は8日間で系列3病院の入院患者472人を全て転退院させて未曾有の患者移動を完了した。この後府と市は「転退院患者ケア対策連絡会」を設置してその後の患者の状況把握とアフターケア対策にあたることとなった。
大和川病院についての転院状況を見ると、5月28日から7月15日までに転院した125人(職員の現在数に合わせるために患者を減らす指導)、7月28日から8月4日までに指定取り消しを前提として転院した212人の計337人(うち男249人)が転院している。このうち府内に転院したもの284人、奈良県、兵庫県、京都府などの府外に転院したもの53人であった。転院先は精神科以外の病院を含む50病院であり、うち61%の175人は8単科精神病院に転院している。
また、97年1月から4月までに大和川病院に入院した患者139人(うち男121人)について人権センターが調べたところでは、60人(43%)はアルコール、覚せい剤などの中毒疾患であり分裂病圏(統合失調症圏)が59人(42%)であった。入院ルートは警察紹介が70人(50%)、他の病院からの紹介が27人(19%)、救急車による搬入16人(12%)であった。警察ルート70人についてみると大阪府下39人(市内16)、兵庫県17人、奈良県13人、和歌山県1人であった。
転院を完了した8月8日府は正式に3病院の保険医療機関の指定を取り消した。
転院先の精神病院ではオーバーベッドになった。転院時、患者の病歴など必要な診療情報がなかった。また患者の入院費用や預かり金の精算、年金関係の書類の処理がなされないままの転院となった。3病院の総額1600万円にのぼる患者からの預かり金の返還についてはその後も長い時日を要した。
大阪府警は9月9日大阪円生病院に関連する詐欺容疑で安田院長らを再逮挿した。95年以降の2億7000万円の医療費を詐取した疑いである。また、労働基準局は、賃金の未払いで安田らを特捜部に送検した。
ところで、府庁ではかねてから大阪府幹部職員と民間病院との不透明な関係がとりざたされていたが、地検特捜部は、97年9月17日浜之上大阪府環境保健部次長を収賄容疑で逮捕した。ある病院の新規事業の認可に関連して、病院経営者から賄賂をうけとり便宜をはかったというものであった。安田との関係については立件するには至らなかった。
府は3病院の開設許可を取り消し、また法人北錦会の設立認可を取り消す方針を固め理事長、院長の聴聞をおこなったが、2人とも出席を拒否したため、9月29日府医療審議会は取消妥当を認め、10月1日3病院の廃院が決定した。開設許可の取消処分は全国初のことだという。

詐欺罪で起訴された安田院長は罪状を認めた

 11月14日、総額5億8000万円におよぶ診療報酬の詐欺罪に問われた安田ら幹部3被告に対する初公判が大阪地裁でひらかれた。
検事は冒頭陳述において、つぎのような点をあげて、被告の犯罪を追及した。
「……安田病院および大阪円生病院における看護婦などの配置名簿の記載内容は看護婦などの数を水増して記載した内容虚偽のものであり、実際には、両病院の一般病棟に関して府知事に届け出た『四対一看護』の基準により請求される看護婦等の最少必要数をはるかに下回る看護婦等しか勤務していなかった。
3病院においては慢性的な医師の不足が歴然としていた。このため3病院においては入院患者に対する巡回診察はほとんど行われず、常に看護婦が不足していたため、本来であれば看護婦が行うべき、点滴の針の抜去、褥瘡に対する処置、酸素吸入等の看護業務が、看護補助者の手によって実施されることも日常茶飯事であった。
3病院においては、患者の治療内容は主として、患者の治療を行わない被告人安田の付箋による指示および同人が作成した治療マニュアルに基づいて、機械的画一的に決定されるなどして、被告人安田の診療報酬至上主義ともいうべき経営方針によって、患者のための医療ではなく、多額の診療報酬を得るという病院経営のための医療がおこなわれていた。
3病院においては医療監視に備えて被告人安田の指示の下、全く勤務していない看護婦等の氏名や、すでに退職している看護師の氏名を利用して内容虚偽のタイムカード、出勤簿を作成し、実際に勤務している看護婦等についても、勤務日数等を大幅に水増しした出勤簿、タイムカード等を偽造するなどの隠蔽工作を行ってきた。さらに被告人は、3病院の定例の医療監視が時期を異にして実施されていたことを利用して、医療監視の対象になっていない他の2病院の看護婦等を、医療監視の対象になっている病院へ派遣し、あたかも、医療監視の対象になっている病院の看護婦であるかのように装わせて、係官の目を誤魔化すなどの工作をおこなった。
被告人安田は虚偽の届け出をして看護料を詐取しようと決意して、被告人小西事務長に指示した。そしてこれに反対する小西に対し「何言うとんや、バカタレ。きちんと書類作っとったら、いくら府が調査に入っても分かるわけないやろ。そのために、おまえら、出勤簿やら作ってるんやないか。見られてマズイ書類は、なんだかんだいって見せなきゃええんじゃ」などと罵倒し虚偽の基準で届け出るように命じた。……」。
ついで労働基準法違反事件について検事は次のように述べた。
「……被告人安田は、ある医師の給料袋が紛失したときに経理事務の関与していた職員全員の毎月の給与から1万円ずつ天引きして紛失した給与相当分を弁償するよう指示し、天引きした。また、被告人は大阪精神医療人権センターを敵視し、大和川病院の患者が、同センターに電話をかけた場合には、その患者の看護を担当する看護婦や看護補助者から、患者に対する世話が足らなかったなどと理由をつけ、いわゆる罰金として給料を一部天引きしていたところ、ある女性患者が同センターに電話をかけ、これに応じて同センターの弁護士が面会にきたことから、安田は電話をかけたことを知り、責任者である看護婦ら4名の給料から看護婦3名各1万円、看護補助者1名5千円を給料から天引きした。……」
こうした冒頭陳述をうけて、被告人安田は、逮捕時点ではまったく否認していた態度を一転させて起訴事実をみとめ、「私の不心得からこのような事件を起こし申し訳ない」と述べた。
この冒頭陳述を読むと安田の虚偽工作の厚顔無恥もさることながら、大阪府・市の医療監視がいかにも形式的、表面的であり、行政指導があまりにも無力であったことが印象的である。

大和川病院の長期にわたる患者人権侵害の経過

 ここで、大和川病院についてすこし昔に遡って経過を振り返る。
大和川病院の前身安田病院は1963(昭和38)年に設立された。69(昭和44)年には看護助手が離院しようとした入院患者にバットでなぐるなどの暴行を加えて死亡させるという事件をおこしている。3人の看護者は傷害致死罪で起訴、大阪地裁で3年の実刑判決をうけている。このとき精神神経学会理事会は、ほかのいくつかの精神病院における人権侵害の不祥事とともに安田病院を厳しく批判し、これを契機に学会全体として精神病院の改革にとりくむことを宣言している。
ところがさらに79(昭和54)年また未成年をふくむ看護者3人による患者暴行致死事件が発覚、1人が逮捕された。入院中の患者が居室のふとんの中でタバコを吸っていたのをみつけ、規則違反だとして腹部や胸部に殴る蹴るの暴行をくわえ、患者は2日後死亡したのである。大阪府は調査の上「医療内容や病院管理、人員面などのすべてに問題が多い」とし、精神衛生鑑定医を派遣して診察した6人の患者については入院不要として法にもとづく退院命令をだし、また新規入院を一時停止させるなどの指導をしている。このとき、精神神経学会は調査団を派遣し、大和川病院の医療を批判する詳細な報告書(精神経誌83巻7号)を書きその結語において、「この事件の背景には日本の精神医療・精神病院の貧困があることは論をまたない。当院の体質は、10年前の事件当時と大きく変わることなく推移してきたと考えられるが、これを監督する立場にある行政当局の怠慢は責められるべきであろう。行政指導がどうなされ、実効をあげてきたのか、今後どう対処されるのかなどが明らかにされる必要があるであろう」としている。蛇足ながらこの年、安田は国会議員選挙に立候補して落選したが、選挙のさいの買収容疑で逮捕され罰金刑をうけている。

一連の訴訟と刑事事件の結末

 そして、1993(平成5)年2月、その後の廃院に至る97(平成9)年の経過を導く契機となった患者暴行致死事件が発覚する。患者Ⅰさんは警察の紹介で大和川病院に入院し、約2週間後「肺炎による呼吸困難」のため、八尾病院に転院搬送された。このとき、肺炎とともに、全身の打撲による皮下出血、肋骨骨折、肺挫傷、極度の高張牲脱水を認め、意識不明の状態あり、転院7日後に多臓器不全で死亡した。
このIさんに関する損害賠償請求訴訟から始まった大和川病院を追及する闘いは、その他多くの民事訴訟によって法廷の場で大和川病院を追いつめていくことになったが、その詳細は第5章において述べられている。
ここでは、刑事事件の結末のみを記しておきたい。
98(平成10)年4月14日、大阪地裁は、安田被告が「営利や蓄財に汲々とし、医師としての職業的倫理や社会的責務を忘れ、悪質重大な医療犯罪に及んだ」と指弾し、5億8900万円の診療報酬詐欺と労働基準法違反について有罪を認め、懲役3年、罰金百万円の実刑判決を言い渡した。安田は控訴したが、99(平成11)年6月大阪高裁は被告が病気により死亡したため控訴を棄却しこの事件は終了した。

◆大和川病院に関する大阪府の調査から

 1.
1997(平成9)年4月、安田系3病院を調査した大阪府は、職員数の不足する現状に合わせて在院者を減らすべく、同年6月約300人を対象に転院および退院を指導した。ついで府は不正請求を理由に保険医療機関の指定を取り消す決定を下し6月末在院していた残り472人全員の転退院の指導を開始し8月5日にはこの大規模な患者移動を完了した。この後8月から9月中旬まで、大阪府は転院先の患者について3病院入院中の処遇などを調査し人権侵害の実態を明らかにし、これを今後の病院指導に役立てると交渉の場で約束した。大和川病院からの転院患者については、345人のうち281人を対象に調査し、1998(平成10)年11月報告書「安田系病院問題に対する大阪府の取り組み」(P. 29資料参照)をまとめている。

 2.
これによって大和川病院の患者処遇実態の問題点を列挙すると以下の如くである。
①入院経路は多い順に「警察から」が98人、「家族同伴」が73人、「他院から」が29人などである。入院時に医師の診察がなかったとの回答が66人(23.5%)。入院時の書面告知がなかったとの回答が151人(53.7%)。入院時の保護室使用が164人(58.4%)、このうち任意入院が65人であった。
②医師の診察回数は月1回との回答が89人で最多、ついで月2回35人。診察がなかったとする回答が13人あった。医師が退院時期など治療計画について説明してくれなかったというもの216人(76.9%)。服用している薬について215人(76.5%)が「説明がなかった」と答えている。
③処遇については、電話が自由に使えなかったと回答したもの41人(14.6%)。また信書の制限があり検閲された、面会が禁止されたことがある、弁護士と面会したあと病棟を変えられた、外出は自由にできなかった、などの訴えがあった。看護者による暴力行為を受けたもの54人(19.2%)、まわりの人が看護者から暴力行為や暴言を受けているところをみたことがあるとしたもの140人(49.8%)。さらに、任意入院であるにもかかわらず退院できないと言われた、ゴミ当番や配膳手伝いなどの使役があった、など多くの人権侵害が訴えられた。
④入院期間についてみると、最短は2ヶ月間、最長は35年であった。6年以上の長期在院は94人(33.5%)。
⑤自己来院ではない場合の搬送車は、大和川病院の救急車が73人(32.7%)、ついで警察パトカー14人(6.3%)の順。
⑥入院形態(任意入院か保護入院か)について、知っていた157人(55.9%)、知らなかった101人(35.9%)。
⑦その他の患者の自由意見のなかにはつぎのようなものがあった。
一言で言えば殺伐とした感じ、暗かったし陰惨であった。入院することで生きる希望を失った。
ケンカがあっても止めないで放りっぱなしか、保安が連れて行ってボカスカ殴るかだった。
110人くらい入院患者がいるのに看護職員は1人か2人。警備の人が2人いるだけで何もしてもらえなかった。夜間は看護の人はいない。見張りの人が2人いるだけ。人手がないので喉にものを詰まらせて死んだ人が何人もいた。

 3.
報告書は、大和川病院の運営の特徴についてこう述べている。
大和川病院は家族の要望を重視した管理体制をつくり、保護責任に困る家族に患者の長期入院を保障し、入院要請があれば24時間いつでも引き受け、薬物依存、人格障害、単身者、生活破綻者、他院でトラブルを起こした患者などを拒否せず、閉鎖処遇と威嚇によって患者を管理し、社会復帰はさせないが、管理困難な患者は速やかに退院させ、患者が退院を望まなければいつまでも入院させるという方針を貫いていたと。
このまとめから大阪府は、今後の方針として、①医療監視の実効性を高める②精神病院実地指導の実効性を高める③精神科救急体制の充実④精神障害者の社会復帰・自立支援のための施策の充実を挙げている。
もう一度大和川病院転院患者についてみると、その過半数は統合失調症(54.7%)であった。アルコール症、覚醒剤中毒などの患者が転退院開始時点で早期に退院し、このためこの調査時点では対象から外れていたとしても、やはり統合失調症圏の患者数は多い。長期在院にいたる患者のほとんどはこのような人々であったことはほぼ間違いないだろう。
転院先の病院の評価では転院患者の3/4は長期在院者で、陽性症状などのために処遇上注意を要する患者は1/10にすぎず、平均的な精神病院の在院者より重症である患者が多いわけではなかったとしている。
社会的処遇の困難性についても、複数回答の上位には、「本人の社会性の乏しさ」59.2%、「住む場所がない」47.9%、「生活費の確保困難」23.4%、「キーパーソンなし」16.6%などがあげられている。「本人の社会性のなさ」の中には本来の疾病性とともに長期在院のもたらした要素などもあると考えると、大半は社会的条件がもたらした入院であったといえる。
つまり、大和川病院はいわゆる処遇困難な患者の治療体制の未整備や、精神科救急体制の不十分さなどにつけこんでその存在理由を周囲に認めさせてきたといわれるが、その病床の大半を占めてきたのは、種々の社会的要因から大和川病院に入院させられ、そのまま入院が長期化した、ものいわぬ統合失調症圏の患者達であったということができる。

 4.
最後にこの1998(平成10)年、報告書の中で大阪府が掲げた5項目の改善目標について、それから8年後の現在、はたしてどれだけ実現されているのかを検証し、未実現の部分についてはその実施を強く迫っていく必要があることを指摘しておきたい。

 

◆資料

安田系病院問題に対する大阪府の取り組み
(大阪府、平成10年11月報告書の抜粋) 
3 今回の教訓を踏まえた改正点
(1)医療監視体制の改正点
今回の事件の教訓を踏まえ、平成9年度の医療監視から以下の改正を行い、監視を実施している。
① 複数の病院を有する法人に加え、同系列と思われる病院についても同時に医療監視に入るべく保健所間の調整や、課題のある病院に対する具体的な医療監視の実施方法についての事前協議を行うなど工夫を行う。
② 精神保健福祉法や健康保険法等を所管する関係各課との相互の連携を密にし、病院の対応が悪質であれば、必要に応じて調査の合同実施や情報の相互交換等を積極的に行なう。
③ 医療法上適正を欠く疑いのある病院に対しては、事前に通告を行なうことなく抜き打ちで医療監視を行なうとともに、必要に応じて医療従事者に対する面接調査を行なう。
④ 府民等から寄せられた確度の高い情報については、府の医療相談や各保健所等とも連携を密にし、適切に処理していく。
⑤ 患者の処遇について問題があると疑われる場合においては、患者本人からその処遇等について直接聞き取り調査を行なう。
⑥ 医療監視の充実強化を図り、医療監視に従事する職員の資質の向上を図るため、医療監視に関する研究会を設置し、そのあり方について検討を行なう。
また、医療監視の法制度のあり方については、引き続き国に対し要望していくとともに、あらゆる機会を通じて関係機関と協議しつつ、より適切な医療監視が実施できるよう努めていく。

(2)精神病院実地指導の改正点
今回、大和川病院の入院患者さんの人権が充分守られていなかった事実を重く受け止め、以下の改正を行い実地指導体制の強化を図っている。
① 病院に対して改善指導を繰り返しても効果が見られない場合は、速やかに改善命令を行い、その事実を公表する。
② 入院患者さん等から苦情等があった場合、本庁職員のみならず、地域の保健所職員が現場に駆けつける体制を構築する。
③ 原則年1回の実地指導体制を見直し、必要に応じて複数回の実地指導を実施するとともに、地域の保健所と連携して患者さんからの直接の聞き取り等を重視した調査方法に改善していくことにより、入院患者さんの処遇の実情をより正確に把握し、きめ細かに指導できる体制をとる。
④ 今後、問題のある病院については医療法や健康保険法を所管する関係課との合同調査の実施や情報の相互交換を積極的に行うことにより指導の効果を高める。

(3)大阪府精神科救急医療体制の見直し
救急医療体制の充実強化のため、以下の点について改善を図ることとした。
① 救急患者の増加に円滑に対応するため、現行1日6床の空床確保を1日7床とする。
② 民間当番病院での受診体制の強化策として、精神保健指定医などのスタッフ確保を支援する。
③ 公民の役割分担を明確にし、中宮病院の機能強化を図るとともに、薬物の使用などにより特別な配慮を必要とする患者の受入は中宮病院を中心として対応する。併せて、民間病院から中宮病院への転院、急性期を脱した入院患者の民間病院への転院についてシステムづくりを行う。

(4)大阪府精神保健福祉審議会の強化
精神保健福祉審議会では知事からの諮問を受けて生活支援部会を設置し、平成9年12月に『障害保健福祉圏域の設定』および『精神障害者地域生活支援センターのあり方』を中心とする精神障害者の生活支援方策を中間答申していたが、今回の問題を契機に、以下のように審議会の体制強化を図った。
① 今回、精神障害者の人権侵害についての実態が明らかになったことにより、入院患者だけでなく精神障害者全般の人権の尊重を基本にした施策の推進が不可欠との認識のもと、同審議会を人権の視点に立脚した運営を行うこととし、同審議会委員に当事者及び人権団体代表3名を委嘱した。
② また、生活支援部会を生活・人権部会と改編するとともに臨時委員として当事者及び人権団体代表を含め新たに5名を委嘱し、最終答申に向けての審議の視点を明確にした。

(5)健康保険法等の調査等の改正点
① 医療機関からの届出について、関係書類の点検や状況聴取に努め、通り一遍の書類チェックに終わることのないよう工夫を行う。
② 複数の病院を有する法人に加え、同系列と思われる病院については、関係各課との間で調整や事前協議を行い、同時に多角的な調査に入る等、調査時における不正防止に努める。
③ 府民等から寄せられた確度の高い情報については、関係各課との連携を図りながら必要応じ抜き打ち調査を実施する。
④ 従来から行ってきた医療機関に対する個別指導について、府民等から情報提供のあった医療機関を優先的に実施する。
また、指導通知期間を大幅に短縮し悪質な医療機関に対しては監査を実施する。
⑤ 患者一部負担金過払額の返還については、医療観閲に対し、監査時に口頭で返還するよう指示を行ってきたが、返還誓約を文書にて提出させる。
保険者に対しては、被保険者あて通知を早急に行うよう指導する。

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