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「精神病院はかわったか?」大和川病院事件の訴訟についてのまとめ

2020.05.09 UP

第5章 大和川病院事件の訴訟についてのまとめ

大槻 和夫

1 大和川病院事件の発端

 1993(平成5)年2月22日、朝日新聞夕刊は「患者 暴行を受け?死亡」の見出しで、同月2日に統合失調症と診断されて大和川病院に入院していた男性の入院患者が、病棟内で別の入院患者から受けた暴行により、肋骨骨折等の傷害を負い、同月15日に八尾病院に転院したこと、転院時にすでに激しい脱水症状に陥っており、同月21日に患者が死亡したことを報道した。
この新聞で報道されたIさん死亡事件が、以後の一連の大和川病院事件の発端となった。

2 Iさん死亡事件

  1. Iさん(男性57歳)は統合失調症で自宅療養中だったが、1993(平成5)年1月29日頃、夜半に野外で寝ているところを柏原警察署に保護された。警察からの連絡でIさんの兄らが引き取りにいったところ、警察から入院先として大和川病院を紹介された。
    同年2月2日、Iさんは兄らに付き添われ、警察官も同行の上、大和川病院に入院した。入院したときのIさんは、入院時の一般検査で身体的に特段の異常がなく、また、何らの外傷もなかった。
    ところが、それから約2週間経過後の2月14日、大和川病院からIさんが急性肺炎になっているとの知らせがあり、兄らが駆けつけたところ、Iさんは個室に寝かされて酸素吸入を受けていた。兄らが呼びかけても反応はなく、顔一面が暴行により赤く腫れ上がった状態であった。
    翌2月15日、Iさんは救急車で大和川病院から医真会八尾病院に搬出転院となったが、八尾病院搬入時のIさんは肋骨骨折を伴う全身打撲、肺挫傷、高張性脱水症、重度の肺炎、深昏睡等の症状でほとんど危篤状態であった。八尾病院はIさんをICUに搬入して治療を続けたが、治療の甲斐なく、Iさんは2月21日死亡した。
  2. 事件の報道後、Iさんの遺族から人権センターに事件の委任があり、1993(平成5)年5月、Iさんの遺族は大和川病院の経営主体である医療法人北錦会を被告として、Iさんの死亡は大和川病院が入院中のIさんに対する暴行を未然に防止せず、暴行が行われた後も適切な治療・救命処置を施さずに病院内に放置していた結果として引き起こされたものだとして、合計3300万円の損害賠償請求訴訟を提起した。
    一審の大阪地方裁判所1998(平成10)年3月20日判決は、Iさんは病院内で他の入院患者等から、複数の機会に、頭部、顔面、胸・腹・腰・背部等に殴る、蹴る、踏みつける等の暴行を受けて肋骨骨折、胸膜挫傷を生じ、これがきっかけとなって黄色ぶどう球菌に感染し、さらに、多数の所為による外傷が血液循環の悪化と抵抗力の低下をもたらして菌の増殖を助長したことにより、肺全体に炎症が及ぶ大葉性肺炎、肺膿瘍を生じさせ、強い呼吸困難を招来し、死亡したものと認定した。
    その上で判決は、大和川病院は病棟に適正な数の医師・看護職員を配置せず、院内の暴行を未然に防止する処置を怠り、Iさんが暴行を受けた後も、これに対する適切な治療や転院処置を怠った過失があり、これらの病院の過失とIさん死亡との間には因果関係が認められるとして、合計1800万円の損害賠償の支払を命じた。
    病院側は判決を不服として控訴したが、その後控訴を取り下げ、一審判決が確定した。

3 八尾病院事件

  1. ところで、Iさん事件が明るみになったのは、Iさんの転院先の医真会八尾病院森院長が搬入されてきたIさんの状態に不審を抱いて警察に通報したためであった。
    1993(平成5)年2月15日、医真会八尾病院は大和川病院から搬送されてきたIさんを受け入れたが、大和川病院の川井院長からの紹介状には、1週間前から風邪にかかっており、昨日より38度台の高熱と呼吸困難があったとのみ記載されており、外傷については何らの記載がなかった。しかし、八尾病院到着時のIさんの実際の状態は、外傷による広範な皮下出血、肋骨骨折等が認められ、川井院長の紹介状の内容とは余りにも異なっていたため、八尾病院の森院長は大和川病院の川井院長に電話して自らの診断内容を伝え、大和川病院においてそのような症状がなかったかと尋ねたが、川井院長は大和川病院からの搬出時にそのような症状は一切なかったと答えた。
    森院長は上記のような川井院長の回答に不審感を抱いて八尾警察署に通報し、病院を訪れた捜査員に対し、Iさんの全身状態を見せて、同人の症状を説明した。
    また、森院長は、新聞社の取材に対して、Iさんの症状について、大和川病院からは3日程前から熱があり、肺炎の疑いがある旨の説明を受けたのみであったが、実際には、外傷からの肺挫傷を起こしており、高張性脱水により砂漠を何日もさまよっていたような状態と説明した。
    また、森院長は、1993(平成5)年5月13日及び同年9月23日放送の関西テレビの番組に出演し、同趣旨の内容を発言した。
  2. 北錦会らは以上のような森院長の警察への通報とマスコミ取材への発言は事実無根で、名誉毀損にあたると主張して、1993(平成5)年5月、森院長を相手取って総額1億300万円の損害賠償請求訴訟を提起した。これに対して、森院長は北錦会らの本件提訴はIさんの死亡についての事件の責任を隠蔽し、森院長の名誉を毀損するために提起した不当訴訟であるとして、金3000万円の支払を求める反訴を提起して争った。
    なお、この事件については、人権センターの弁護士は関与していない。
    一審の大阪地方裁判所1998(平成10)年3月26日判決は、森院長の警察への通報は正当であり、マスコミへの説明も、専ら公共の利害に関するもので、公共の利益を図る目的でなされたもので、その内容も真実であると認定して北錦会側の請求を棄却し、他方、森院長からの反訴について、北錦会側の提訴は著しく相当性を欠くもので違法であるとし、森院長へ慰謝料200万円を支払うことを命じた。
    北錦会側は控訴したが、その後裁判外で北錦会側が森院長に和解金を支払うことで和解が成立すると同時に、北錦会側は控訴を取り下げたので、一審判決が確定した。

4 面会妨害事件

  1. Iさん死亡事件が報道された後、大和川病院の入院患者から人権センターに対して面会の依頼が次々と寄せられるようになった。このため、1993(平成5)年3月以降、人権センターの事務局員と弁護士が大和川病院を訪問し、患者らと面会する活動を開始した。
    これに対して、大和川病院は、精神保健福祉法・厚生省告示が患者の代理人となろうとする弁護士との面会については如何なる制限もできないと規定しているにもかかわらず、弁護士と患者の面会によって病院の劣悪な医療実態が外部に知られることを恐れ、以下のような様々な面会妨害活動を行ってきた。
  2. 1993(平成5)年4月20日午前10時頃、里見和夫弁護士が面会申出のあった入院中のYさん他との面会を求めたところ、大和川病院は面会時間は午後1時半から同3時までであるなどと述べて面会を拒否した。
    やむを得ず、里見弁護士は同日午後1時半頃、改めてYさんとの面会を申し入れたところ、大和川病院はその直前にYさんを呼び出して「弁護士の先生は結構です」等の真意に反するメモを作成させ、これを里見弁護士に示してYさんとの面会を拒んだ。
  3. 人権センターは、大和川病院が精神保健福祉法・厚生省告示の規定に違反して里見弁護士と患者の面会を妨害してきたことを重視し、大阪府や厚生省に事態を報告し、対応策を協議した。
    そして、人権センターに面会の申入れがあったYMさんら4名の入院患者と面会する日を5月8日と設定し、丸山哲男ら3名の弁護士に加えて、人権センター事務局メンバー、土肥隆一衆議院議員、三石久江参議院議員、関西テレビの報道部員2名が同行して、同日午後1時30分頃、大和川病院を訪れ、患者との面会を申し入れた。しかし、面会申入れ後、約20分間待機していても病院側から何の連絡もなかったため、丸山弁護士らは診察室を訪れ、在室していた病院の川井医師らに対して、面会申入れしたがどうなっているのかと尋ねた上、待ち時間を利用してIさん死亡事件についての病院の見解を問いただした。患者死亡事件についてのやりとりが一段落した後、丸山弁護士らは改めて患者面会を申し入れたところ、川井医師らは保護者の同意書がなければ面会させないと言って、面会を拒否した。丸山弁護士らが患者の弁護士に対する面会は法律で保障されている権利であることを指摘しても、病院の面会拒否の態度は変わらず、更に、弁護士には会わない旨のYMさんらのメモ書きを見せてきた。丸山弁護士が誰が患者らに書くように指示したのかを尋ねたところ、春日医師は自分が指示して書かせたことを認めた。このように病院の面会許否の態度が変わらないため、丸山弁護士は用意していたYMさんの家族の委任状を示して面会を求めたところ、病院はようやくYMさんとの面会を認めた。そして、丸山弁護士らがYMさんと面会して事情を聞いたところ、YMさんは、春日医師から指示されて、意思に反してメモを書かされたことを認めた。そこで、丸山弁護士らはYMさん以外の患者について、弁護士との面会意思を確認するための面会を求めたが、病院はこれを拒み通した。
    以上の経過はビデオカメラにより撮影され、後日、関西テレビで放映されたが、撮影中、病院関係者から撮影行為を拒絶するような言動はなかった。
  4. その後も、大和川病院は、様々な形で弁護士面会に対する妨害を続けた。
    このため、面会を妨害された弁護士8名が原告となり、1993(平成5)年4月20日、5月8日、8月12日、1994(平成6)年2月2日の各面会妨害行為について、医療法人北錦会他を被告として、1994(平成6)年7月、違法な面会妨害行為により被った精神的苦痛の賠償を求める損害賠償請求訴訟を提起した。
    一審の大阪地方裁判所1998(平成10)年2月27日判決は、①精神保健福祉法36条2項及び厚生省告示128号により、精神病院の管理者は、患者の依頼により患者の代理人となろうとする弁護士との面会を制限することができないこととされているが、これは単に患者に対して弁護士との面会を妨げられないとの権利を保障しただけではなく、弁護士に対しても患者と面会する権利を保障したものである、②精神病院は、弁護士が患者からの正規に依頼を受けていないとの疑いがある場合でも面会を拒絶できない、③患者が弁護士と面会する意思がないと表明した場合でも、それが患者の真意に基づくものであるか否かを確認するために弁護士が患者と面会することを認めるべきである、④患者の依頼により患者の代理人となろうとする弁護士とは、弁護士が直接依頼を受けた場合に限らず、患者が家族・友人・公的機関・私的団体等を通じて依頼した場合も含むと判示した上、本件各面会妨害行為について、大和川病院の責任を認め、弁護士各人に対して慰謝料の支払いを命じた。病院側はこの判決に対して控訴したが、別件の和解と同時に取り下げたため、一審判決が確定した。

5 1993(平成5)年5月8日面会行動に対する刑事告訴等

 1993(平成5)年5月8日面会のために大和川病院に出向いた者に対し、医療法人北錦会他は、弁護士らの行為が建造物侵入、威力業務妨害、信用毀損等にあたると主張して、①弁護士らを大阪地検特捜部に刑事告訴し、②当日、病院とのやりとりの中心となっていた丸山哲男弁護士を大阪弁護士会に懲戒請求し、③当該行為が民事上の不法行為にあたるとして、1995(平成7)年2月、大阪地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起した。これに対して、人権センター側は不当訴訟であるとして反訴を提起して争った。
このうち、刑事告訴については不起訴、懲戒請求については懲戒事由なしとなり、民事訴訟については、後述する大阪市立大学等への質問状の件と併せて、医療法人北錦会が和解金260万円を支払う内容で和解が成立した。

6 関西テレビ事件

 1993(平成5)年5月8日の人権センターによる患者面会活動には関西テレビの報道部員が同行して、当日のやりとりのビデオ撮影に協力をし、このビデオの一部を同月13日のニュース番組と9月23日のドキュメンタリー番組で放映した。これに対して、医療法人北錦会らは、①5月8日の関西テレビ社員の行動によって業務妨害を受けた、②放映により、大和川病院が面会制限、薬の濫用、患者の非人間的取り扱いをしている閉鎖的精神病院という印象を与え、名誉を毀損された、③春日医師が診療室で弁護士らから責められて取り乱したところを放映されてプライバシーを毀損されたなどと主張して、損害賠償請求訴訟を提起した。
一審及び控訴審は、病院側の主張を退けたが、最高裁が破棄し、上記②と③について控訴審の大阪高裁に差し戻した。
差し戻し後の控訴審は、まず、③について、医師は医療法に基づくある程度公的な存在であり、診察室も開かれた場所で春日が取り乱したともいえないとして、病院側の請求を認めなかった。次に、②については、各番組は精神病院の閉鎖性と入院患者の人権という公共の利害に関するものであり、かつ目的が精神病院の開放処遇と患者の権利擁護というもっぱら公益を図る目的で放映されたものであるとしたうえで、死亡事故や暴力支配があったこと、及び、大和川病院の閉鎖性については、真実の証明があったか真実と信じるに足る相当な理由があったとして、請求を認めなかった。しかし、薬の濫用があったと取られかねない部分の場面についてのみ、真実の証明も誤信の相当性もなかったとして、損害賠償請求を一部認めた。
なお、この事件については人権センターの弁護士は関与していない。

 

7 人権センターが大学医学部に対して出した質問状の内容が医療法人北錦会の名誉を毀損したとしてなされた刑事告訴等

  1. 1993(平成5)年2月に発覚したIさん事件以降、大和川病院に入院中あるいは入院経験のある患者、家族、病院の現役看護職員等から人権センター宛に提供された情報や、人権センターのメンバーが病院面会に行った際に知りえた事実等により、大和川病院の劣悪な医療実態が明らかになった。
    このため、人権センターは、1993(平成5)年5月、大和川病院にアルバイトの勤務医師を派遣していた大阪市立大学医学部に対して、大和川病院の医療実態を説明した上で、①貴大学に所属する医師が大和川病院に勤務している事実はあるか、②もしその事実があるならば、この間の大和川病院の入院患者さんに対する人権侵害についてどのような認識を持っているか、特に本年2月には夜間に入院患者への暴行事件が起こったと言われているが、勤務する医師としてそれをどのように受けとめているか、③現在の大和川病院の医療体制のなかで、責任をもって勤務しうる展望をもっているか、という内容の質問状を、代表の里見弁護士名で、送付した。
  2. この書類送付行為に対して、医療法人北錦会らは、名誉毀損や業務妨害にあたるとして、①1993(平成5)年6月に大阪地検特捜部に刑事告訴、②同年8月に大阪弁護士会に懲戒請求、③1994(平成6)年5月に大阪地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起してきた。
    このうち、刑事告訴については不起訴処分、懲戒請求については懲戒事由なしとなった。
    民事訴訟については、1997(平成9)年7月、文書はいずれも公共の利益に関するもので、これを送付した被告の行為は専ら公益を図る目的でなされたものであるとし、その内容もいずれも真実であるか真実であると信じたことに相当の理由があるとして、北錦会側の請求を棄却した。
    北錦会側は控訴したが、別件の1993(平成5)年5月8日の面会行動をめぐる事件と一括して和解が成立し、北錦会が控訴を取り下げたので、一審判決が確定した。

8 看護婦の労働条件が問題となった事件

  1. 大和川病院では就職する看護婦に対して「契約金」名目で金員を交付し、看護婦が契約期間を勤め上げた場合は契約金を返還する必要はないが、期間途中で退職した場合は契約金全額を一括返還するほか、20%の違約金を払う旨の約定を取り交わし、併せて、看護婦免許証原本を病院に預けさせ、以て看護婦の退職の自由を制約していた。
    看護婦のOさんは、大和川病院の医療実態に疑問を抱き、同病院を退職したいと願っていたにもかかわらず、上記の事情から退職できないでいたところ、1993(平成5)年5月8日の人権センターによる患者面会活動の現場に居合わせた際、人権センターのメンバーに援助を求め、大和川病院に退職願いを出すとともに、人権センターの弁護士を通じて看護婦免許証の返還を求めた。
    これに対して、医療法人北錦会は、1993(平成5)年8月20日、契約金と違約金の支払を求めて、大阪簡易裁判所に提訴するとともに、看護婦免許証は契約金・違約金の支払いと引換えに返還すると主張したため、Oさんは契約金返還条項の効力を争うとともに、看護婦免許証の返還等を求めて、反訴を提起した。
  2. このうち、看護婦免許証返還の反訴については、弁論分離の上、1993(平成5)年12月21日付で一審勝訴となり、医療法人北錦会は控訴したが、1994(平成6)年4月18日付で控訴棄却となり確定した。
    契約金返還請求については、一審の大阪簡易裁判所1995(平成7)年3月16日判決は、2年内に中途退職した場合に契約金の返還を求める約定は1年以上の労働期間の約定を禁止する労働基準法14条(当時)違反、違約金の定めは労働契約の不履行について賠償額を予定する契約を禁止する労働基準法16条違反、看護婦免許証の預託と契約金制度が一体となって看護婦の足止め策に利用されているのは強制労働を禁止する労働基準法5条違反であるとし、これらの点に鑑みて、本件契約金制度は公序良俗に違反するものであるとして、北錦会の返還請求を棄却した。

9 安田基隆に対する詐欺、労働基準法違反等被告事件(刑事)

  1. この事件は、安田系3病院の実質上のオーナーであった安田基隆が、①看護基準を満たしていないのに、虚偽の事実を記載した「看護婦等の配置名簿」を届け出て基準を満たしているように」装った上、さらに、同基準に従って患者に対し良好な看護を施したとの記載をした内容虚偽の診療報酬請求書等を提出し、起訴された分だけでも約5億9、000万円の診療報酬をだまし取ったこと(詐欺)、②看護婦その他の職員らに対し、種々の言いがかりをつけてその給料の一部を不法に天引きするという「罰金制度」を導入し、職員の給料から恣意的に罰金を天引きしていたこと(労働基準法違反)により、1997(平成9)年8月から9月にかけて起訴されたものである。
  2. 安田は1998(平成10)年2月、起訴されている詐欺金額約5億9、000万円を含む約25億円の不正受給診療報酬を即金で全額返還したが、大阪地方裁判所は、1998(平成10)年4月、安田に対して懲役3年の実刑判決を言い渡した。
    安田は控訴したが、大阪高等裁判所は、1999(平成11)年3月控訴を棄却した。安田は上告したが、上告中の1999(平成11)年6月27日死亡したため、事件は公訴棄却により終了した。

10 終わりに

 大和川病院事件はIさん死亡事件の報道で始まったが、この報道は八尾病院森院長の警察への通報がもたらしたものだった。しかし、捜査を受け持った柏原警察署の動きは鈍く、そのうち、大和川病院は八尾病院が誤診したと言い立て、事件の発端を作った森院長に圧力を加えて、事件をうやむやにしようとする構えを見せた(八尾病院事件)。
こうした状況の中で、Iさんの遺族から人権センターに依頼があり、人権センターは訴訟の場で大和川病院の責任追及に取り組むことになった(Iさん死亡事件)。
これと併せて、大和川病院への面会活動が開始され、病院側の妨害にもかかわらず、粘り強く継続されたが、その面会活動の積み重ねの中から、大和川病院の荒廃した医療実態が明らかにされていった(面会妨害事件他)。
そして、面会活動のときの現場看護婦の訴えを契機として、人権センターは看護婦等の退職に伴う事件を受任して争うようになったが、こうした看護婦ら従業員の供述から、大和川病院を初めとする安田系3病院の錬金術の仕組みが明らかになっていった。
こうして、患者や従業員からの聞き取りによって得られた病院の医療実態についての情報が、行政交渉の場に持ち出され、また、マスコミによって報道されることとなり、行政による立入調査、安田基隆の逮捕へと連なっていった。
安田系3病院に止めをさしたのは、診療報酬詐取等を理由とする病院の開設許可等取り消しと安田基隆に対する有罪判決であった。このため、一般の人の中には、安田系3病院事件、即ち、多額の診療報酬不正請求をした事件というイメージで捉えている人が多い。
しかし、言うまでもなく、大和川病院事件で、本来、最も問題にされるべきは、病院の飽くなき営利追求のもとで、日々繰り広げられていた医療現場の悲惨な人権侵害の実態であった。Iさん死亡事件は、そうした、医療現場における人権侵害の果てに起こったものであったが、これは氷山の一角に過ぎず、明るみにならずに埋もれていった事態は少なくない。
訴訟の場では、証拠により裏付けられ確実に認定できる事実しか取り上げられない。その結果多くの重要な事実が公にされないまま関係者の記憶の中にのみとどまることになる。こうした埋もれていく事実を想起しながら今後の運動に生かしていくことが、多くの犠牲者の想いを晴らしていく道ではないだろうか。

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