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「精神病院はかわったか?」人権センターの活動と精神保健福祉法の改正

2020.05.09 UP

第6章 人権センターの活動と精神保健福祉法の改正

位田 浩

1 精神保健法から精神保健福祉法へ

本章では、大阪精神医療人権センターの活動が精神保健福祉法の運用や法改正に与えた影響について述べたい。
まず、その前提として、1988(昭和63)年7月に施行された精神保健法の改正経過を簡単に確認しておこう。
精神保健法は、精神障害者の人権に配慮した適正医療の確保や社会復帰の促進等をめざして、精神障害者の意思にもとづく任意入院を新設したり、入院患者の処遇や行動制限について厚生省令が一定の基準を示したりすることにより、入院患者に対する強制をなるべく制限し、人権侵害を防止することが期待された。また、入院患者の不服申立権として退院請求・処遇改善請求が認められ、これらの請求に対する審査等を行う精神医療審査会が新たに設置された。
精神保健法は、5年後の見直し規定に基づき、1993(平成5)年に改正された。その主な内容は、社会復帰施設の整備や保護義務者の「保護者」への変更などであった。このとき、人権保障に関する規定の見直しはなかったが、5年後に法の見直しをすることが規定された。また、同じ年に、障害者の自立と社会参加を目的とする「障害者基本法」が制定され、精神障害も身体障害や知的障害と並んで同法の対象となり、精神障害者の社会参加のための福祉施策の推進が社会的に求められることになった。翌年の1994(平成6)年には地域保健法が制定され、保健所が精神障害の発症から社会復帰までのサービス提供機関として位置づけられるようになった。そのような流れをへて、1995(平成7)年に精神保健法は改正されて、精神障害者の社会復帰の促進等を法律の目的に加えた「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(精神保健福祉法)が制定された。精神保健福祉法は、社会復帰施設の種類を増やし、精神障害者保健福祉手帳を導入するなどした。
このように、精神保健法の施行後は、精神障害者に対する福祉施策に重点をおいた法の再編がなされ、法律の名称も精神保健福祉法と変わったのである。
しかし、1993(平成5)年に始まる大和川病院をめぐる一連の事件は、入院中の精神障害者の人権保障を図るという精神保健法の立法趣旨がまったく没却され、同法が人権侵害の温床といわれてきた精神病院の現実に対して、実効性に乏しかったことを明らかにしていった。

2 大和川病院に対する立入検査要望書

1993(平成5)年2月の入院患者Iさん暴行致死事件をきっかけにして、人権センターには元入院患者や看護婦らからの告発が相次いで寄せられた。それらの情報などから、大和川病院では、医師や看護婦の数が極端に少なく違法状態にあること、精神保健指定医の診察もなく医療保護入院が行われていること、まともな診療が実施されていないこと、通信・面会の自由が制限されていること等が判明した。そのような情報をもとにして、同年6月25日、人権センターは厚生省に対して、厚生省や大阪府がプロジェクトチームを組織して、大和川病院に対する立入調査を行うよう要請した。
他方、人権センターは、監督官庁である大阪府に対しても、同年3月3日に患者死亡事件の背景を明らかにするよう申し入れを行い、また、同年4月7日にも大和川病院に関する質問書を提出した。これに対し、大阪府は、同年4月9日大和川病院に対する立入検査を実施し、病院に対する指導を行ったが、きわめて不十分なものであった。人権センターは、大阪府との交渉をおこなってその尻を叩きながら、厚生省に対する前記の要請を行ったのである。
大阪府は、同年9月20日に系列病院を含めた3病院の立入調査を行った。しかし、その調査内容も不十分なものであった。後に判明したことであるが、大阪府は立入調査の10日前に事前通告を行い、病院側に準備のための時間的余裕を与え、かつ、書類審査が中心であったため、病院側が出勤簿やタイムカードを偽造し、その日だけのアルバイトを雇ったりヘルパーがナースキャップをかぶって看護婦になりすますなどして、医療スタッフ不足の実態を隠蔽することを許したのである。
人権センターには、その後も、元看護婦や現職の職員からの情報提供があり、3病院では医療監視に備えて事前に書類を偽造したり、医療監視の度に3病院で職員が回されたりしていることが明らかとなった。そのような事実をもとにして、人権センターは、1996(平成8)年8月31日、再び厚生省に対して、3病院に対する予告なしの一斉立入検査を実施するよう要請した。
しかし、厚生省や大阪府の対応はきわめて鈍かった。そのような膠着した情勢を一気に流動化させたのが1997(平成9)年3月10日の「看護婦水増し」新聞報道であった。同月19日、厚生省は、大阪府・大阪市と合同で、実態把握を目的として、ようやく3病院の一斉立入り調査を実施したのである。

3 面会妨害に対する活動と厚生省の通知

1993(平成5)年2月の患者死亡事件の後、人権センターは協力弁護士とともに大和川病院の入院患者への面会活動を行った。これに対して、大和川病院側は執拗な面会妨害を行ってきた。この違法な面会妨害に対し、妨害を受けた弁護士7名が1994(平成6)年7月に大和川病院側を相手に損害賠償請求訴訟を提起した。しかし、その後も違法な面会妨害は収まらなかった。逆に一般面会のために訪問した人権センターのメンバーらに対し、保護者の実印が押された承諾書を要求したり、暴力的に病院敷地外に排除したりするなどますますエスカレートした。人権センターは面会妨害があるたびに、大阪府に連絡して、行政指導を行うよう要請した。大阪府の担当者が病院に指導をしたようであるが、病院側の対応は一向に改善されなかった。
そこで、人権センターは、1995(平成7)年8月、厚生大臣に対して、一般面会に「承諾書」を要求する行為を中止させ、入院患者の外部の者との面会が自由であることを徹底するための通達を発するよう要請した。
厚生省は、大阪府からの照会に対する回答の形で、同年9月27日、入院患者と外部の人との面会を違法に制限する病院への指導を強化するよう通知を発した。この通知は、①患者の病状にかかわりなく、週の特定の日に面会を受け付けない、②弁護士や都道府県・地方法務局職員以外の面会者に対して患者の保護者や扶養義務者の承諾書の提出を求める、③面会者に患者の意思を直接確認する機会を与えず、患者が会いたくないと言っているとして面会を拒むといった面会の制限は、精神保健福祉法37条第1項に違反するものであるとして、このような事例を迅速に是正し、指導監督の徹底を図るよう都道府県宛に要請したものである(健医精発第54号・平成7年9月27日・厚生省保健医療局精神保健課長)。
これを受けて、大阪府が大和川病院に対する指導を行ったおかげか、入院患者との面会妨害も一段落するかに思われた。ところが、大和川病院は、1996(平成8)年以降、面会妨害をさらに悪質化させた。面会者については病院入口の門扉のところで警備員にチェックさせ、人権センター関係者の場合には敷地内に入らせないようにし、門扉の外で長時間待たせたあげく、医師らが当該患者を門扉の前に連れ出してきて、「弁護士は要りません」とひとこと言わせてすぐに病院内に連れ戻し、面会を拒否するようになった。しかし、人権センターは、あらゆる妨害にめげずに、入院患者からの面会要請を受ければ必ず大和川病院に面会に赴いた。そのようなねばり強い面会活動がついに扉をこじ開けたのである。

4 情報公開を求める活動

大阪府は1993(平成5)年4月の立入調査のときから、大和川病院における医療スタッフ数の不足や治療体制の不十分さ等を一部把握し、改善計画書を提出するよう病院側に指導を行っていた。しかし、これらの情報を大阪府は隠していた。また、大和川病院が行政に報告している医療スタッフが架空であることを確認するために、大阪府の情報公開条例に基づいて医療監視の結果を公開するよう請求しても、大部分が墨で黒く塗りつぶされた文書しか公開しなかった。このような情報の非公開が大和川病院の延命を許した原因でもあった。この4年間に、劣悪な医療のために生命や健康に対する被害を受けた人々が多数にのぼることを思うとき、大和川病院の存続に手を貸してきた行政の責任はきわめて重大であるといわざるをえない。

 

5 1999(平成11)年精神保健福祉法改正への影響

大和川病院事件は、精神病院が精神保健法制定後も変わらず人権侵害の温床となっている実態を明らかにした。
折しも、精神保健福祉法は、1993(平成5)年改正法の施行後5年の見直し時期が迫ってきていた。大和川病院事件に取り組んできた人権センターは、その活動を通じて、精神障害者の人権が保障されるために何が必要かを訴えた。

事件を通じて明らかになった問題点

大和川病院事件に取り組む中で、日本の精神医療をめぐる様々な問題が浮かび上がってきた。大きく分けると、地域医療・福祉の貧困の問題、精神病院の閉鎖的処遇による人権侵害の問題、人権救済システムの活性化の問題と分けることができる。
まず、地域医療・福祉の問題は、家族などの引き受け手や社会的受け皿がない患者を受け入れる隔離収容先として大和川病院が存在していたことである。そのため、警察ルートや福祉ルートで多数の患者が大和川病院への入院を余儀なくされていた。そのようなルートを断ち切るには、安心してかかれる地域医療の充実と精神障害者が過ごせる場所の確保が必要となる。そして、家族に過重な責任を負わせる保護者制度の廃止を含めた見直しも検討されるべきである。
次に、精神病院内における処遇の問題については、いくつもの問題点があげられた。第1に、通信面会の自由が確保されないという点である。とくに、違法な面会妨害について、行政が病院側に改善命令を出さなかったことは改められるべきである。第2に、大和川病院では、任意入院患者に対する保護室の濫用がおこなわれていた。常勤の指定医がいないためにいったん任意入院にするものの、入院直後から一定期間にわたって保護室に入れるという処遇がおこなわれた。また、その後も任意入院患者のほとんどを閉鎖病棟に拘禁し続けていたのである。院内処遇の問題は、病院が開放的であればあるほど、より早く表面化していくはずである。逆に閉鎖的であればあるほど人権侵害は隠蔽されていく。精神病院の人権侵害を防止するためにも開放化が必要であり、任意入院患者の開放処遇の原則化は、任意入院の原則化とあいまって、人権保障に資するものといえる。
さらに、人権センターが1993(平成5)年に行政に対して立入検査要望書を提出してから、真にその訴えが受け止められるまで4年間も放置された原因を問わなくてはならない。精神保健法が導入した入院患者の人権救済システムが有効に動いていないことにある。精神医療審査会の事務局が大阪府の職員が兼務しているため独立性がなく、患者の請求がなければ活動をすることがない。審査会がより機動的に人権救済のために動くことができるように調査・勧告の権限を付与する必要がある。現在知事宛に申し立てることになっている退院請求や処遇改善請求を審査会宛に直接申し立てるようにする。また、医療法に基づく医療監視、精神保健福祉法に基づく実地指導との連携や改善指導・改善命令の実効化をはかるため、精神保健福祉法による病院設立許可の取消、病棟の一部閉鎖命令などのペナルティーの強化を図る必要がある。そして、なによりも人権センターのような患者サイドにたった権利擁護機関を制度として確立していくことが求められる。なお、厚生省大臣官房障害保健福祉部長らから1998(平成10)年3月3日付け通知「精神病院に対する指導監督等の徹底について」がなされている。

社会的入院の解消を求める

人権センターは、精神障害者福祉の充実も訴えた。大和川病院には入院医療の必要がないにもかかわらず地域での受け皿がないため入院を余儀なくされている社会的入院患者が多数いた。そのような社会的入院患者の解消に向けた具体的な方策として、公営住宅に精神障害者用の単身者枠を設けること、福祉ホームやグループホームの社会復帰施設の増設などを大阪府に求めた。
大阪府においては、大和川病院事件をきっかけにして、人権センターのメンバーが大阪府精神保健福祉審議会の委員になり、精神障害者に対する人権侵害の一つとして社会的入院を指摘し、その解消を求めていった。1999(平成11)年3月の大阪府精神保健福祉審議会の答申「大阪府障害保健福祉圏域における精神障害者の生活支援施策の方向とシステム作りについて」においては、社会的入院者を地域に取り戻すために、一人一人の生活支援計画の策定や地域での支援体制の確立などの必要性が指摘された。大阪府では、これを具体化させるべく2000(平成12)年に「社会的入院解消研究事業」(のちに「退院促進支援事業」と発展していく)がすすめられることになった。

法改正に向けた厚生省の動き

厚生省は、1998(平成10)年3月から見直しに向けた検討作業を開始した。厚生省は、法を見直す際の課題として、精神障害者の社会復帰と地域生活支援に向けた福祉施策の充実をあげたほか、大和川病院等の精神病院における人権侵害事件の発生から、精神病院に対する監督強化と入院患者の人権をいっそう配慮する適正な医療の確保をあげた。1999(平成11)年1月に公衆衛生審議会が厚生大臣に提出した「今後の精神保健福祉施策について」においては、人権保障に関する事項として、次の9点をあげている。
ア 医療保護入院の要件を明確化し、入院の必要性がほとんど理解できない者とすること
イ 任意入院患者は開放処遇とする。精神保健福祉法37条1項に定める処遇の基準として位置付けること
ウ 改善命令に従わない精神病院に対する業務停止処分を設けること
エ 社会復帰施設について、運営や入所者の処遇基準、違反した場合の規定を設けること
オ 精神医療審査会の独立性を確保するため精神保健福祉センターに事務を行わせること、審査会が精神病院への報告徴収を行えるようにすること
カ 精神医療審査会の委員数の上限を撤廃すること
キ 指定医に対して一定の重要な事項について診療録記載義務を課すこと
ク 指定医が不適切処遇を発見したときは管理者に報告すること
ケ 指定医が法違反をした場合に指定の取消のほかに職務停止処分を新設すること
1999(平成11)年3月、おおむね上記の事項が反映された改正案が国会に上程された。改正案のうち入院患者の人権保障にかかわるポイントは、①医療保護入院の要件の明確化、②任意入院者の開放処遇の原則化、③改善命令に従わない精神病院に対する業務停止処分、④精神医療審査会の調査権限を強化し、精神保健福祉センターに審査会の事務を行わせる、⑤精神保健指定医の役割の強化などである。
人権センターが訴えていた、第三者による権利擁護機関の設置などは先送りされた。

山本事務局長の参考人意見陳述

法案の審議においては、1999(平成11)年4月20日に人権センターの山本深雪事務局長が参議院国民福祉委員会に参考人として呼ばれ、大和川病院事件を踏まえた意見を述べ、議員からの質問に応じた。
山本事務局長が述べた意見は、次のようなものであった。
大和川病院事件を通じて分かってきた問題点として、①任意入院患者が完全閉鎖病棟で処遇され、閉鎖的空間の中で人権侵害が発生していたにもかかわらず、その中に入っていく第三者がいなかったこと、②精神医療審査会という制度があっても、通信・面会の自由が真に保障されなければ画餅にすぎないこと、③入院患者の訴えを真摯に受け止める権利擁護機関が存在しないこと、④行政が病院と癒着し、不正を隠蔽するのに手を貸してしまっていること等をあげ、それらを改善するために、処遇基準の明確化、権利擁護委員の制度化、ユーザーの意見を行政に反映できるシステムの導入などを提言した。
「拘禁ではなく、安心してかかれる医療」を実現するために、精神障害者が地域で安心して暮らせる場の確保に向けた総合的な福祉法、入院している際の権利擁護法、そして、社会全体にわたる差別禁止法が必要であると結論づけた。

1999(平成11)年法改正の成立

精神保健福祉法改正法案は、前述の改正内容について大きな変更もなく成立した。

6 残された課題に取り組む人権センター

 大和川病院事件を契機にして大阪精神医療人権センターが提起した問題は、実現できないまま課題として残されたものも多い。
人権センターは、そのような課題をひとつひとつ実現するために取り組みをすすめている。精神保健福祉法の権利擁護に関する規定については、当事者団体や医療関係者などから患者の権利擁護をより一層はかるための要望等がなされているが、民間精神病院などの抵抗もあり、そう簡単には変わりそうにない。しかし、その後の人権センターの活動は、法の一歩先を歩むものとなっている。

 

◆資料

安田病院ほか2病院に対する立入検査要望書

1996年(平成8年)8月31日
厚生省
大臣官房総務課 御中
大臣官房障害福祉部精神保健福祉課 御中
保険局医療指導監査室 御中
健康政策局指導課 御中

大阪市北区西天満5-9-5 谷山ビル8階
大阪精神医療人権センター
代表 弁護士 里見 和夫
事務局長 山本 深雪

第一、要請の趣旨
安田病院(大阪市住吉区長居東4-11-5所在)、医療法人北錦会大和川病院(柏原市高井田4-4-1所在・旧名医療法人安田会)、同大阪円生病院(大阪市東住吉区住道矢田1-6-3所在)の3病院に対し、貴省各担当部局が合同で協議検討のうえ、大阪府担当部局と共に、
(1) 医師・看護婦・その他医療スタッフの勤務実態
(2) 入院患者に対する治療、その他処遇の実態
(3) 各病院の医療環境、医療設備の実情
(4) 大和川病院の入院患者の通信・面会制限の実態
等につき予告なく同時一斉立ち入り検査を実施されるよう要請します。

第二、要請の理由
一、私達は、これまで大阪府をはじめ貴省担当部局に対し、3病院の医療実態や医療法違反等の重大な人権侵害の事実、大和川病院入院患者の通信・面会の自由の制限他の人権問題について種々な指摘と要請をおこなって参りました。
そして、貴省や大阪府の指導の下、公衆電話機の設置や夕食時間帯の3時から5時への変更等一定の変化もありました。更に、1993年9月には、3病院への同時立ち入り検査も実施され、これに伴う医療実態の改善指導等も繰り返し行われてきました。
ところが、このような度重なる医療監視や改善指導にも係わらず、相次ぐ患者・職員等からの投書や電話等から判断しますと、右の3病院の「真実の医療実態」が把握されているとは決して言えない現実が横たわっています。従ってこれまで、右の3病院が包含する医療法上、人権上の諸問題が改善されるきざしが一向にありません。

二、医師及び看護スタッフの勤務体制について
我々の調査では、大和川病院は500床弱で基準看護「4対1」であるところ、現実には、実質的な常勤医師は3名であり(うち2名は安田病院とかけもちで週3日勤務)、右3名のうち週4日を越える常勤医は1名のみです(資料1 大和川病院平成8年7月31日現在の病院勤務実質職員名簿)。看護資格を有する者は、全病棟内で16名であり、内常勤者は6名しかいない実情です(資料1 右同)。
安田病院では、患者数260名で基準看護「老基(1)」と「4B補10」で看護料を請求しているところ、実質には、2名(平成8年8月段階)の看護婦が「院長付き」と称して安田病院と大和川病院を毎日往復する他は、常勤医は2名(内、安田院長は患者は一切診ず、レセプト用紙の付箋のみで指示――後述)いるものの、実際に医師の診察行為は行われず詰所でカルテに記入するだけの行為しか行わない実態に、看護職員らから「あれは医療行為ではない」との声がこれまで多数寄せられています。(前述資料1、資料2 平成8年8月10日現在の職員名簿)(資料4~8、陳述書 資料11 看護婦よりの手紙)その中には、医療監視用の偽造書類の作成を命じられた者も2名(資料5、7)含まれており、その人たちの印象では「実際の約9倍近くの知らない看護職の名前があった」と述べています。医師も看護婦も患者も右の3病院間で、廻されています。その日によって、安田基隆院長から「こちらへ来るよう」命じられるまま行く実態となっているようです。(資料1、資料2、資料3、資料5、資料7、資料8)
大阪円生病院でも、患者数330名弱のところ、陳述者が出勤しても診察などの医療行為を行える医師は1名しかおらず、その医師も安田病院に呼ばれるので週2~3日しか出勤してきていない実情となっているとの事です。(資料3 出勤者名一覧、資料7 陳述書)。
患者数が61名の詰所で常勤看護婦が1名とパート(週1~3日勤務)看護婦1~2名の勤務体制であり、パートの帰った後の午後4時~5時と午前7時~9時の時間帯には、看護婦が不在となる日常が横行しています。内科を標榜している病院でのできごとです。(資料4、資料7、資料8)このように常勤医が5名ほどいるかのように記載して行政に提出されている名簿は、重大な虚偽記載であると考えざるを得ません。
大和川病院の職員や患者の供述によると、A棟(患者数200人近く完全閉鎖病棟あり。)は春日医師が、B棟(患者数180人近く)は西窪医師が主治医となっている現状のようです。川井医師は週3日出勤してくるも、診察はほとんどせず、カルテ精神療法欄の記載と入院患者を連れてきた人への応対をしているようです。また入院患者60人で日勤の看護スタッフが1、2名の日が現状でも続いています。(資料1 出勤者名簿、資料8―3頁、資料13 平成7年2月の一覧表)。
これらは、明らかな医療法違反であり、基準看護違反、労働基準局に対する届け出義務違反です。大阪府の医療監視時には「市民税納付決定書」が提示されているとの事ですが、税額0の分であれば虚偽の作成は可能です。私達に寄せられている「給与明細書」30数通をみても、市民税の欄はどなたの分も空欄となっています。(資料15 安田病院「院長付だった人の賃金台帳」)
更に、監査で、行政側に提出する看護婦の診断書(X線写真、血液検査結果、心電図を含む)を提出する際、実際にいない看護婦の分は他人の若い人の分を何枚も心電図やX線写真を撮って、それをあてがっている旨、現場にいた職員が述べています。(資料5、7、8参照)
従って、医師及び看護スタッフの勤務体制(病棟別・昼夜別・勤務時間)について、提出書面に基づくことなく、面談職員からの聞き取り(誕生日や住所等)を的確に行い、実態を早急に再調査する必要があります。

三、入院措置について
入院患者は、指定医がいない場合には、とりあえず任意入院とされ、一律に保護室に入れられ、後日医療保護入院の手続きがなされることが明らかになっています。これは、精神保健福祉法の精神に基づき、「任意入院患者は開放病棟での処遇や閉鎖病棟においてもできるだけ開放的環境で処遇することが望ましい」と明記した昭和63年4月6日付健医発第433号厚生省保健医療局長通知から明らかに逸脱しています。
一方、医療保護入院にもかかわらず、指定医の診察はなかったとの訴えが殆どであり、指定医制度は形骸化しています(資料8-4頁)。
即ち、事務職員・看護婦によれば、直接患者を診察していない野村四郎医師は、あたかも自ら診察したかのようにカルテに自らのサインを書き込む為にのみ、週4時間だけ大和川病院に在院し、指定医の診察はなかった事実を隠蔽しようとしています。隔離拘束権限を持つ立場の重要性は全く省みられていない現実です。
又、警察に保護された人が釈放された途端、警察の廊下や裏庭や玄関で待っている大和川病院の保安数名が、医師の診察もないままに拘束衣を被せ、同病院の車に乗せて入院させる例があとを絶ちません。
こうした入院経過でありながら、任意入院とされているのです。これでは、精神医療審査会への申立権限もありませんし、閉鎖処遇されようが、電話禁止にされようが、どこにも訴える術がなくなっています。精神保健福祉法の悪用例の典型の実態です。退院患者の多くの人から、こうした話を聞きますし、大和川病院も「うちは8割が任意入院であり、関西一開放率の高い病院である」と公言しています。
更に、病院側に退院の申し入れをすると「退院させてやる」と本人に言い、大阪円生病院や安田病院、平野区の松井記念病院に転院措置を車で取るという行為に出ています。現に安田病院の7、8、9階には、そうした患者さんがたまっている現状です。
これらは、精神保健福祉法、医療法に抵触する恐れが大であり、人権上も決して看過することのできない現実となっております。
(退院患者の訴え―貴省との面談当日同行及び手紙持参)

四、病院内での診察について
入院患者に対する診察は、月1回程度医師が見廻りに来るくらいで、診察らしい診察は一切なされていないとの職員の訴えです。投薬は患者を診察も問診もしていない病院の安田院長が3病院の分をレセプトのみ見て、その指示で画一的に処方されている実態は変わっていません。
(資料4~9 陳述書、資料10-1~4 レセプト用紙に貼られている安田院長からの指示付箋、資料11 看護婦よりの手紙)
更に、治療の為に「特別食」が配食されているようにレセプト上請求しているそうですが、実態は、そうした「特別食」は作る人もおらず作るよう指示もされていないとのことです。(資料1、資料12 栄養士よりの手紙)
私達も3病院に訪問し、配膳行為を幾度もこの目で目撃していますが、名札はついていませんでした。付添い婦等も、ミキサーで粉砕してそのフロアの患者の口に次から次へと流していく作業の怖さを訴えてきています。
又、理学療法行為も、入院患者にガードマンの服を昼間着用させて、老人の身体をさする等させ、夜はベットの上で患者となる実態のようです。
これらは、医療法第64条1項に抵触する恐れ大であります。
このように臨床とは無関係に投薬が処方される為、当然薬漬けになりやすく、また医師法第22条に違反して処方箋も交付されません。
元病院事務職員は、投薬内容は患者を診察していない安田オーナーが指示し、レセプト請求もそれに基づいて行われるので、パートの医師などは「出しすぎや。あんなに薬を出したらあかん」と現場での判断をしてメモを看護婦に渡し、2重のカルテ状態を実務的にこなしていた、とも陳述しています。(資料13 元病院職員よりの聴取書)。
これらの状況から判断するに、大和川病院では患者1人1人の症状にみあった医療の名に値する診察がなされていないことは明らかです。
これら事態は、医師法第17・19・20・23条に抵触し、従って、医師法第31・25条に抵触する恐れが大です。

五、通信・面会の制限について
精神保健福祉法及びその運用上面会制限が絶対的に禁止されている「患者または保護義務者の代理人となろうとする弁護士との面会」について、大和川病院が違法に面会拒絶に出たことは既に送付してきた文書に明らかであるが、その後、貴省が1995年9月に出した「通信・面会の自由の保障に関する疑義照会への回答並びに通知書」を受けた後において、大和川病院側は、より陰湿な面会拒絶の行為に出ています。
1995年11月10日、12月28日、1996年4月24日、6月3日の面会申し入れに対し、門扉内に入れる事すら拒否し、本人の意思確認を病院の男性職員10数人が囲む中で「お断りします」とのみ言わせる行為に及んでいます。(資料14 写真、面談当日持参)これでは、本人の相談したかった内容が話せる環境では全くありません。
一方で、今年7月頃から、午後になると全館の公衆電話に「点検中」の紙が貼りつけられる為、患者は使用不能となる環境におかされるようです。(資料1)
幾度となく違法行為を繰り返すこうした病院で、現実に面会が遮断された時、その日に行政吏員が現場にきて患者本人の意思を確認する行為を何故行えないのでしょうか。1988年、貴省が出した「通信面会のガイドライン」や課長通知128号~130号は単なる空文なのでしょうか。こうした面会の自由こそ、入院患者の持つ人としての当たり前の権利がどれほど守られているかを端的に表すものであり、この条項が破られた時には、現状以上の毅然とした態度(例・新規患者の受入れ停止処分)をとって然るべきだと思料します。
1日も早く、通常の面会が可能となるよう、日曜日や祭日の面会が可能となるよう、面会時間も1回10分~15分と制限されないよう、貴省の1988年の「通信面会に関するガイドライン」の精神を守らせる方策を真摯に考えて頂くよう要請します。

 

六、右3病院の前記実態が継続しえた方策の実態
これまで述べてきたような違法な実態が、なぜ行政に十分把握されずに「これでは医療現場ではない」「このままでは怖すぎる」と職員や患者たちが私達に訴えてくる事態が継続しているのでしょうか。この疑問について職員自身の経験した事実から次のように述べています。
1.大阪府より医療監査の連絡が2週間程前にあると、安田病院の院長安田基隆氏(大和川病院や大阪円生病院では会長と呼ばれている)から「院長付き」と呼ばれている看護婦と2~3名の職員が、安田病院の10階会議室(今年8月には、5階)に集められ、安田基隆院長の指示の下、右3病院の全部の架空の書類作成作業が深夜まで行われるとの事です。(資料5、7、8)
まず、医療スタッフについては、実際のタイムカード(たまたま、私達が1993年5月8日、撮ったビデオ写真に本物が映っていたが左端の部分のカードは全部いない人の分であるとの事)や出勤表(安田病院では、手書きで複写式の一覧表が全職種通して事務所に置いてある)とは別に、小西総事務長(主に、安田記念医学財団の仕事をしている人)によって、「架空の出勤簿」が作成され、この裏付け用に大段事務員(大和川病院事務局次長)が「架空のタイムカード」を各職員毎に、タイムカードをガチャガチャと押していくそうです。ここまでは普段からなされている作業とのことです。
次いで、右の「架空の出勤簿」に基づいて、実際にはいない医師や看護婦の偽りの印鑑を「偽の病棟管理日誌」にポンポンと押していく作業や、間違って、正しく記載されている印鑑を消す作業を院長付きの看護婦や看護補助者に行わせるそうです。(偽の病棟管理日誌は、同一人物が、3病院全部をまとめて記載してある為、筆跡で判るはずですが、現在まで判明していないのでしょうか。)
同様に、右の「架空の医師出勤簿」に合わせて、処方箋の医師名を変更するため、実際とは違う医師の印鑑を勝手に押して訂正する作業も密室状態の中でさせられるそうです。(資料5、7、8、9)。
この三病院に勤務する看護婦は、採用の初めに看護婦免許証を安田院長に渡して「契約金」と交換し、現物の免許証は「預かり」とされる為、退職したくて「退職届け」を出しても看護婦免許証は返還されず、あきらめて辞めていった人も大勢いるようです。看護婦免許証の返還請求訴訟も5件相談を受けたこれまでの経緯もあります。最近では「弁護士を依頼した」とか「人権センターに相談した」と言うと、未払賃金は「供託金」として振り込まれたり、看護婦免許証は現場の主任だった人が自宅に持参してくる例が増えてきています。
現場が医療機関として勤めたい職場でないが故に、職員の入れ替わりは速く、慢性的な超人員不足と超高齢化の為に、よけい悪循環を辿っているようです。
そして、実際の監査当日には、安田基隆院長の命令で、3病院の中で、監査対象でない病院から看護婦、看護補助者、付添婦らが駆り出され、看護婦以外の者がナース帽を被らされ、別人の名札をつけさせられ、実際にいない看護婦になりすますよう指示されています。そうした時、大阪府の職員から「住所・電話番号」などを聞かれると答えられないと発言しています。
その他、従前の監査時には、実際にはほとんど検食や食事指導をしていないのに、食事箋・食事指導録・各種点検表・検食簿などの形式だけは監査に間にあうよう大慌てで揃えているとの事です。
2.他方、この3病院では、「実際に行われている医療行為とレセプト請求」(診療報酬請求)に書かれ、保険請求されている内容との間に、大きな乖離がある。」と、元職員らはこの点を悩んでいます。
例えば、安田病院では、患者に毎日のように点滴注射をする指示が出ますが、医療監視のある日には一斉に点滴が行われたりするものの普通の日は、看護婦の手が足りない為、重症患者に1本の点滴注射が行われる位で、他の患者には点滴をする時間がなく、大量の点滴が、毎日午前11時前後に、病院のトイレや流しから捨てられています。
また、高齢で寝たきりの患者は、大きな飲み薬を呑み込む事ができず、その患者の薬袋と直近の1週間分の薬以外は、オシメを捨てるゴミ袋に2重に入れて捨てられていました。これも現場の医療に責任を持って回答する医師や職員がいない為と人手不足の結果です。患者の直近の1週間分の薬を捨てないのは、万一、患者が死亡した場合、従前には、このとおりの薬をちゃんと飲んでいたと証明する為です。
栄養士は、患者の病気に応じた食事メニューを「腎臓食・肝臓食・膵臓食等」と書き、レセプト上も特別食が支給されたように書いて、保険請求するものの、実際の食事内容は殆どの患者が全く同じであり食事の盆に患者さんの名札すらついていないのが実態です。
安田病院や大阪円生病院では、多くの患者さんに理学療法を行ったとして「月○○人やったとしてカルテにゴム印を押すよう。部位は見に行って動かん所を書いとけばいい」との安田院長の指示があり、実際には何も円生病院や大和川病院ではしていません。安田病院では、保安係が患者の足をさすったりし、カルテ上は技師が理学療法を行ったように記入しているとの事です。(資料4~12参照)
消炎鎮痛処置(ホットパック)は、監査用に2年前に買ったものの実際は1度も使用したことはないにも拘らず、これをしたとして保険請求するよう指示があり、レセプト書きしたと発言しています。
その他にも、疑問点は多々ありますが、レセプト書きの仕事が最も特徴的に、3病院の医療実態を表しています。
その仕事は、月末までに、各病棟で、レセプト用紙に付箋を付け「点滴は○日分」(記入する者は、看護資格の有無は関係がない。それを提出しないと給料は貰えない。詰所代表として安田院長に提出した時点で、その詰所全員の給料が出るというシステムに3病院ともなっている。)と尋ねると安田院長が付箋で「点滴は26日間でいけ。後は1本としろ。」との指示が月のはじめに出ますと、「出来たから、とりに来い。」との連絡を受け、レセプトを書いている者が安田病院に、安田院長の指示の付箋が着いたレセプトをとりにいきます。3病院とも同じです。その後、「指示受け」と称し、各病棟詰所内にその用紙を持って帰り、付箋に書かれている安田院長の指示内容を、「患者指示簿」に写します。その後、又、安田病院にレセプト用紙を持っていき、その場で「付箋外し」の行為を3病院一斉に始まります。毎月5日~8日までの間に、そうした「付箋外し」が安田病院5階の管理室の隣(栄養士の部屋)で行われ、その後、診療報酬支払基金に持っていく為の集計作業が、そのまま、深夜まで続きます。
届いた「患者指示簿」を見ながらカルテの右の「処置欄」に医療行為を1ヶ月分づつ記入します。この時も、看護資格の有無は関係がありません。実際の医療行為として、各病院に勤務している医師たちの意見は全く聞かれておりません。(資料10-1~4参照)ですから、現場で容態の急変があった時に、医師は「マニュアル通りにやって下さい」と指示するシステムですから、看護婦がいれば、その場で判断し処置しています。カルテの記入は、処置した後に、医師がカルテ左側の「状態欄」に後追いで記入するシステムと3病院ともなっています。(マニュアル原本は、面談当日持参)。
看護婦がいない時は、付添婦か看護助手が、酸素吸入等の処置もさせられています。
更に、患者死亡時でも昼の12時で医師が帰ってしまう為、12時前に死亡した患者の死亡診断書も看護婦が記載して安田院長に提出し、印鑑は事務所の方で押印するシステムです。大和川病院や大阪円生病院でも、春日院長と詰所の看護婦等らで安田基隆院長に提出に大阪市内の長居まで行きます。「又、殺しやがったか。すぐお参りに行ってこい。」と怒られるのが常だったとの事です。
このシステム自体が、医療法違反の実態を繰り返し生み出しており、中の職員から「怖くて仕方がない」との訴えに繋がっています。
この安田会長の言いなりの何時間かのうちに、付箋により、薬や注射の指示や変更、病名の追加・訂正等が指示され、支払基金で問題にされないよう1ヶ月分の注意と指導がなされ、カルテも医師もそれに左右される為、勤務者が、看護資格を持っているか否かは関係ない実態となっているのです。

七、以上のような次第ですから、この3病院について、予め予告した上での医療監視及び立ち入り検査並びにレセプトの書類審査のみでは、3病院間で医療スタッフを廻しあって調整したり、或いは書類の形式上は完全に整えられてしまっているので、いくらやっても、その医療実態の把握は困難だと思います。そこで、右3病院の真実の医療実態等を把握するには、職員らの「陳述書」を熟読し、こうした事前工作ができないように、3病院に対し、予告なしの一斉かつ同時の立ち入り検査をすることが、是非とも必要です。

 つきましては、今回は前回のような中途半端な取り組みに終わる事なく、医療法に違反する疑いが濃厚な医療実態に鑑み、貴省内部で合同のプロジェクト・チームを組織され、大阪府とともに、医療法第63条に基づいて、三病院同時の立入検査を実施されるよう、更に、精神保健法第38条の6に基づいて、大和川病院に対し改善命令(同法第38条の7)の前提として、立ち入り検査も同時に実施されるよう要望いたします。
(※文中の資料は割愛しました。)

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